残しておきたい福祉ニュース 1996〜社会福祉のニュース

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残しておきたい福祉ニュース

 2011年 
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月

 2011. 3. 4 障がい者4名、過酷な環境で長時間労働強いられる
 2011. 3. 4 金歯、入れ歯回収 1億6000万円寄付
 2011. 3. 4 障害者が創る先端デザイン
 2011. 3. 4 盲導犬と3期12年、長岡・藤田市議きょう最後の一般質問
 2011. 3. 5 18人に1人生活保護受給の大阪市 支給即パチンコは当たり前
 2011. 3. 5 盲導犬とペアで歌手デビュー、視覚障害者の栗山さんが地元公演/横浜
 2011. 3. 6 GH見守りカメラ:入居者の人権、更に議論を 技術者、福祉専門家が研究会 /石川
 2011. 3.11 もう一度「口から食べる」ための工夫を- 東名厚木病院の小山氏
 2011. 3.11 障害者への差別ない社会を 基本法改正案を了承
 2011. 3.11 研修昼食代に3000円 県の包括外部監査結果 滋賀
 2011. 3.14 北関東大震災に係る日本介護福祉士会の対応
 2011. 3.14 医療・介護の現場に広がる“輪番”の不安- 東日本大震災
 2011. 3.15 医療用酸素ボンベ不足で厚労省対応
 2011. 3.15 TVニュース要約つぶやく 日本福祉大生ら、耳の不自由な人へ
 2011. 3.15 支払い困難な被災者の医療費自己負担を猶予- 住居全壊など対象に厚労省
 2011. 3.15 ◇「白い杖に冷たい人多かった」 東日本大震災:視覚障害者、地震当日の体験語る /神奈川
 2011. 3.15 福祉避難所の開設急務、要介護の被災者ケアを
 2011. 3.16 外国人医師の被災者への医療「違法性なし」- 厚労省
 2011. 3.16 被災障害者への支援呼び掛け 阪神大震災で発足の団体
 2011. 3.17 避難の15人死亡、ストレスや疲労原因か
 2011. 3.17 救急救命士の特定行為、被災地の事情に配慮- 厚労省
 2011. 3.17 計画停電中の自転車は点灯を、「怖い」と聴覚障害者がツイッターに書き込み/神奈川
 2011. 3.17 ガソリン不足、弱者支援を直撃 訪問介護、回数減る
 2011. 3.17 避難所に健康不安、インフル感染の危険も
 2011. 3.17 大崎町の障害者福祉事業所が不正受給/鹿児島県指定取り消し
 2011. 3.17 重度障害者の在宅医療綱渡り 停電とガソリン不足深刻
 2011. 3.17 全国自立生活センター協議会 東北関東大震災 障害者救援本部開設
 2011. 3.18 工夫と努力で介護サービス継続
 2011. 3.18 ボランティアは待って 社会福祉協議会に相談殺到
 2011. 3.18 福祉施設 善意つなぐ 金沢を中継 仙台へ物資
 2011. 3.18 ボランティア希望続々 岡山市社協 事前登録スタート
 2011. 3.18 燃料不足で看護・介護も影響深刻
 2011. 3.18 「いわきは個人も事業所も過剰反応」- 放射性物質漏れで吉田・福島県病薬理事
 2011. 3.18 被災で入院の重度障害者、生活支援利用可に- 厚労省
 2011. 3.18 要介護者のために福祉避難所オープン 宮城
 2011. 3.19 釜石で入院患者8人が死亡 停電でたん吸引できず
 2011. 3.19 八戸の七洋 介護事業優先で給油
 2011. 3.19 介護最大手のニチイ学館、12施設と連絡とれず
 2011. 3.20 灯油で温まって 県知的障害者支援協が福島の施設へ送る
 2011. 3.20 物資届けに被災地入り決断 中津の福祉施設
 2011. 3.20 震災寒さ乗り切って 栗原・一迫の燃料店 2福祉施設に灯油寄贈
 2011. 3.20 送る物資 想像力を〈伝えたい―阪神から〉
 2011. 3.20 「高齢の被災者受け入れを」- 国境なき医師団・黒崎会長
 2011. 3.20 東日本大震災 無休で介護、職員疲弊 宮城・石巻の施設
 2011. 3.20 子供のストレス障害に注意 「大人が安心させてあげて」
 2011. 3.20 妊婦や乳児特化の福祉避難所 人工透析患者向けも 新潟県長岡市
 2011. 3.20 宮城県の9市町が土葬へ 仙台市は身元不明者に限定
 2011. 3.20 南相馬のホーム入所者228人が横浜に移動
 2011. 3.20 介護職員ら5971人、被災施設に派遣可- 厚労省・調査
 2011. 3.21 南相馬市の老健施設など入所者88人を受け入れ ☆新潟県長岡市
 2011. 3.21 東日本大震災:実習船「湘南丸」、いわき市内で被災の知的障害者ら乗せ帰港/三浦
 2011. 3.21 東日本大震災:被災者575人受け入れ、福島出身が多く高齢者は半数近く/神奈川
 2011. 3.21 障害者 忘れないで
 2011. 3.22 タイガーマスク」から地域で助け合う福祉を 千曲市で集い
 2011. 3.22 消失戸籍の復元可能=江田法相
 2011. 3.23 人間の幸せ求め続け、チョーク製造最大手の日本理化学工業/川崎
 2011. 3.24 視覚障害者降灰で歩行困難都城など路面の感触つえでつかめず
 2011. 3.24 東日本大地震:いわき市の知的障害者ら受け入れ、NPO法人「よろずやたきの会」/平塚
 2011. 3.24 障害者の就労移行支援事業所「働き教育センター彦根」 関西福祉学園がブリヂストン彦根工場に開設
 2011. 3.25 「あとの郷」虐待訴訟:元施設長と法人に賠償命令−−地裁 /広島
 2011. 3.25 30`圏外でも維持困難 福島第一原発周辺の介護施設
 2011. 3.25 障害者や外国人受け入れ 福祉施設 岩手県田野畑
 2011. 3.25 被災した障害者支援に基金2億円を全額投入 大阪のNPO NPO法人ゆめ風基金
 2011. 3.26 避難所が臨時「特養」化…石巻
 2011. 3.26 震災孤児把握へ実態調査 全国の専門家被災地へ
 2011. 3.26 <東日本大震災>高齢者施設の死者・不明436人
 2011. 3.27 留学中事故全身機能失う 長浜・伊吹さん 情熱注いだ絵
 2011. 3.27 「ふるさとに恩返し」研修医、飛び入り診療
 2011. 3.27 東日本大震災 視覚障害の被災者 基礎的な情報もなく
 2011. 3.27 しまねのひと:アルゼンチンで障害児支援に取り組む、原屋文次さん /島根
 2011. 3.27 東日本大震災:高齢者施設、死者・不明436人 3県18カ所、海辺立地で逃げ遅れ
 2011. 3.27 東日本大震災:弱視の被災者に気遣いのエプロン 南三陸町
 2011. 3.27 東日本大震災:「災害弱者の助けに」被災地で福祉バイオトイレ車が活躍/海老名
 2011. 3.28 フィリピン女性、白河で献身介護 「お年寄りを見捨てて去れない」
 2011. 3.28 「てんでんこ」三陸の知恵、子供たちを救う
 2011. 3.29 「私たちはここに残る」 外国人介護士・看護師 被災地で奮闘続く
 2011. 3.29 障害者、虐待受けた可能性3割 愛媛県調査
 2011. 3.29 検査証明なく入所一時拒む 原発30キロ圏の70代女性
 2011. 3.29 精神障害者の服薬中断、適切に対応を- 厚労省
 2011. 3.29 昨年の医療事故報告、2千件超で過去最多- 日本医療機能評価機構
 2011. 3.29 介護福祉士国試、5年ぶりに合格が半数以下- 受験者数は過去最多
 2011. 3.29 神戸市:補助金取り消し 特養老人ホーム整備で /兵庫
 2011. 3.29 津波 最後まで患者を守ろうとして…南三陸の看護師ら
 2011. 3.30 <一体型施設>保育園と老人ホーム併設、世代超えた交流を 山口市に県内初
 2011. 3.30 住之江区社協の補助金流用:市に327万円返還請求命令−−地裁判決 /大阪
 2011. 3.30 ケアホーム完成、障害者ら一人暮らし 京田辺に新設
 2011. 3.31 有資格者ゼロ、訪問介護の指定取り消し- 徳島
 2011. 3.31 要介護者ら国主導と施設間で受け入れへ−東日本大震災で4万人超
 2011. 3.31 「情」に守られ通所者無事 住民が避難手助け
 2011. 3.31 水道メーター製造の福祉法人/国指定事業者に


■2011.3.4  障がい者4名、過酷な環境で長時間労働強いられる
北海道の札幌市で働いていた知的障がい者が劣悪な環境で長時間労働を強いられていたなどとして、食堂の経営会社などに対し約5000万円の損害賠償を求めていた訴訟の和解協議が28日に札幌地方裁判所で行われ、経営会社が謝罪し、被告側が解決金650面円を支払うことにより和解が成立した。

訴えられていたのは「三丁目食堂」(現在は閉店)の経営会社、原告が生活していた寮の運営責任者「札幌市知的障害者職親会」など。

訴状では、4人は2007年6月まで、それぞれ13年から31年のあいだ住み込みで食器洗いや調理業務などを担当していたが、休みは月二日で、1日12時間以上の労働を強いられたと主張し、現在未払いとなっている賃金の支払いや慰謝料を求めた。

和解成立を受け、同社の社長は「配慮が足りなかったことについては申し訳なく思っている」とコメント。職親会も「適切な環境とは言えない状態で働かされ、大変遺憾に思っている。職親会は清算法人として解散する方針だが、今後も会員が障害者の自立に協力できればと思っている」としている。

同問題を巡っては、同社社長が4人から障害基礎年金をだまし取り、賃金も未払いだったなどとして、障害者団体が詐欺や労働基準法違反の疑いなどで札幌地検に告発したが、同地検は09年に不起訴処分とした。

■2011.3.4  金歯、入れ歯回収 1億6000万円寄付
不要の金歯や入れ歯を回収し、子供たちの福祉に役立てる活動歯の妖精 トゥース・フェアリープロジェクトの寄付総額が、1億6千万円を突破した。寄付金は今後2年間の寄付と合わせ、日本初の小児ホスピスと小児がん専門の治療施設などのために使われる。

活動に取り組む日本歯科医師会と日本財団によると、同プロジェクトは平成21年6月に開始。全国の約3200の歯科医院から計約540キロの金歯や入れ歯が集まり、約1億6千万円に換金された(1月25日現在)。不要な金歯や入れ歯はこれまで、医療廃棄物となるケースが多く、同医師会として回収に取り組むのは初めて。

寄付先に決定したのは、重度障害などの子供と家族のためのホスピス「海のみえる森」で、神奈川県大磯町に来年夏、完成予定。その建設費の一部(予定金額約1億1千万円)として寄付する。

もう一つの寄付先は、小児がん患者のための治療施設「チャイルド・ケモ・ハウス」で、25年春に神戸市中央区に完成予定。その建設費の一部(同3億円)に充ててもらう。この施設は、親も子供と一緒に寝泊まりし、子供に放射線治療など長期間にわたる治療を受けさせることができる。

両事業の達成には今後2年間で約3億円が必要。歯科医師会では、全国6万5千人の歯科医師にさらに協力を呼びかける。回収は郵送でも受け付けている。問い合わせはフリーダイアル0120・24・2471(平日午前9時〜午後5時)。

■2011.3.4  障害者が創る先端デザイン
知的障害者の創作物を取り入れた商品の売れ行きが好調だ。インターネットを通じて評判が広まっている。

かわいらしい動物などのイラストが描かれている段ボール。手がけたのは、九州の福祉施設で働く知的障害者だ。この段ボールはだんだんボックスと呼ばれ、障害者の自立支援や地域活性の一環として、昨春に構想が練られた。販売は8月下旬から始まった。

小さなものから特大サイズまで4種類の大きさ、6種類のデザインを用意。価格は1つ200円から400円と手頃だ。個人がギフト用に使うだけでなく、地元九州を中心に、企業が採用するケースが目立っている。

販売額の10%が印税としてアーティスト(デザインした障害者)や福祉施設に還元される。また、売り上げから経費などを差し引いた収益もまた、すべて福祉施設などへ回る仕組みだ。

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■2011.3.4  盲導犬と3期12年、長岡・藤田市議きょう最後の一般質問
全国で初めて盲導犬をつれて議員活動を始めた藤田芳雄・長岡市議(62)が、4月の市議選に立候補せず、3期12年で引退することを決め、4日の本会議で最後の一般質問に立つ。障害者への理解と支援などを訴え、市のバリアフリー(障壁をなくす)施策に大きな影響を与えてきた藤田議員は、今後は障害者の社会参加を進めるNPOを作るなど、新たな活動をしたいという。

藤田議員は病気で30歳代半ばで視力が衰え、会社を退職、その後完全に視力を失った。針きゅう師に転身し、1998年に、盲導犬・オパールを得て一人でも遠出できるようになったが、当時は、しばしば店の入店やタクシーの乗車を断られたりした。街を歩いて段差などで苦労することも多く、「障害者の視点を大切にした街づくり」を訴え、99年に合併前の長岡市議選に初出馬し、オパールとの“二人三脚”の運動でトップ当選した。

以来、市庁舎には、議場がある6階を中心に点字掲示が施され、点字ブロック整備も進んだ。「傘を差せない車いすの人が困る」などと訴えて、車いす用スロープなどへの屋根設置を実現させ、2004年の中越地震の後には、要援護者名簿の作成や、福祉避難所の設置なども訴えた。

08年からは現在のウリエルが盲導犬を務めるが、長岡市内の現役盲導犬も、当初のオパール1頭から、現在は3頭に増えた。02年に成立した身体障害者補助犬法もあり、今、入店拒否や乗車拒否を経験することはない。

これまでに24回一般質問に立ち、文教福祉など常任委員長も3回務めた。資料や新聞記事を読み上げてくれる妻の和子さん(59)の支えもあり、一般質問の準備には1か月近くをかける。当初は点字で原稿を作ったが、今はパソコンの議場持ち込みが認められ、パソコン音声を聞きながら質問している。小中学校などから依頼があれば、ボランティアで講演もしており、これまでに延べ約200校を訪れた。

3期での勇退は、好きなマラソンに例えて「ゴールがあるから、頑張れる」と、2期目の途中から心を決めていたといい、「一定の役割は果たせた」と振り返る。周囲には昨年10月に伝えた。今後は、針きゅう師の仕事をしながら、NPOの設立準備をしたり、マラソンや楽器演奏などを楽しみたいという。

盲導犬をつれた全国初の議員で、4月に3期12年で勇退する藤田芳雄・長岡市議(62)が4日、盲導犬ウリエル(雄4歳)と共に最後の市議会一般質問に立ち、「活動を始めた頃、『このまちには障害者がいないのか』と言われたのを思い出す。障害者は動きにくいまちだった」と振り返った。

点字ブロックや音響式信号の設置など、市の政策に影響を与えてきた藤田市議らしく、この日も点字やパソコン音声を利用しながら、JR長岡駅への転落防止の可動ホーム柵設置などを求めた。質問を終えた後、記者団に「さみしい気持ちはするが、肩の荷がおりた。12年は短いと言う人もいるが、自分なりに全力投球できた」と感慨深げに語った。

■2011.3.5  18人に1人生活保護受給の大阪市 支給即パチンコは当たり前
2009年度に「生活保護の不正受給」と認定された件数は、全国で1万9700件にのぼる。なかでもトップは大阪市で2012件。実に全国の1割以上を占めているが、そこには驚くべき不正受給の実態があった。

大阪市では現在、18人に1人が生活保護を受けている計算で、生活保護費は市の予算の約17%を占めている。生活保護費の4分の3は国庫負担だが、それでいてこの額なのだ。
「こうした現状をなんとかしようと、2009年9月に『生活保護行政特別調査プロジェクト(PT)』を立ち上げました。不正受給や不正請求に対する監視、調査も行ない、これまでに16件の不正案件が逮捕に至っています」(大阪市の健康福祉局生活保護調査担当課)そのひとつが、昨年11月に詐欺罪で有罪となった女性占い師のケース。「住む家も資産もない」として生活保護を受給していたが、実は神戸市内に豪邸を構え、数千万円もの預金を持っていたという。

「この占い師がたまたまテレビ出演したのを市の担当者が見て、おかしいと気づきました。他には受給者の住宅扶助(最高で4万2000円の家賃補助)をピンハネしていたNPOや、医療扶助でタダで処方された向精神薬を売りさばいていた受給者の存在をつかんで、警察に情報を提供したケースもあります。しかし、逮捕者は“氷山の一角”でしかないといわれれば、否定はできません」(同前)
悪質な受給者は少なくない。大阪市のホームレス支援団体職員がため息まじりにこう話す。

「生活保護費をもらってパチンコに直行なんて、西成区界隈では当たり前すぎて、語るほどのことでもない。支給日直後の居酒屋やパチンコ店はどこも繁盛していますよ。若い世代では、生活保護を受けるために形式上の離婚をして、実際には同居していながら受給するパターンが多い」

■2011.3.5  盲導犬とペアで歌手デビュー、視覚障害者の栗山さんが地元公演/横浜
横浜に住む視覚障害者の栗山龍太さん(35)が昨年11月、歌手デビューを果たした。盲導犬の「ダイアン」(ラブラドルレトリバー)と共にステージに上がり、二人三脚の日々を歌い上げる異色のユニット。5日に行われる、横浜ベイホール(横浜市中区新山下)でのコンサートにも出演する予定で、栗山さんは「ダイアンと一緒に日々楽しんでいることを感じてほしい。将来は武道館でコンサートがしたい」と夢を膨らませている。

大阪府出身の栗山さんは、小学5年生のときに緑内障で失明。約10年前から横浜市内に住み、市立盲特別支援学校で、はり・きゅう手技療法などを教えている。視力を失う前から作詞作曲が好きで、ピアノやギターなどを演奏していた。

「自分の作った曲がラジオで流れたら」。昨年からレコード会社などにデモテープを送っていたところ、友人の音楽会社から誘われ、「栗山龍太&ダイアン」としてデビューすることに。デビュー曲は自身が作詞作曲した「僕の取り柄(え)と盲導犬」。盲導犬2代目のダイアンと歩む日々を、9分間のメロディーに乗せて伸びやかな声で歌う。歌詞には、盲導犬と出会い、暮らし、別れるまでの出来事や思いが赤裸々につづられる。歌詞の始め、栗山さんは自分の「取り柄」を「目が見えない事」と告げる。歌い進むうち、その「取り柄」が変わっていく。

「盲導犬の君がいることが、僕の取り柄になりました」「もしも僕の目が見えてしまっていたなら、盲導犬の君に出会えてなかったかもしれない」。何度となく繰り返されるこのフレーズが“2人”の絆の強さを強く印象づける。
5日に行われる横浜ベイホールのコンサートで「僕の取り柄と盲導犬」など計3曲を披露する栗山さんは「ダイアンと一緒に歌うことで、盲導犬と過ごす日々や、その楽しさを知ってもらえたらうれしい。自分にしか描けない世界観を持った、息の長いアーティストになりたい」と笑顔で話した。ベイホールでのコンサートは横浜、川崎市在住・在勤の人は無料。

■2011.3.6  GH見守りカメラ:入居者の人権、更に議論を 技術者、福祉専門家が研究会 /石川
認知症高齢者が暮らすグループホーム(GH)に設置したビデオカメラを巡り、石川県内の技術者と社会福祉系の研究者が昨年、介護職員の負担軽減と入居者のプライバシーについて考える共同研究会を立ち上げた。文理の枠を超えた研究会は全国でも異例の試み。それぞれ専門知識をぶつけ合うことで、お互いに気付かなかった視点が得られたようだ。

北陸先端科学技術大学院大の藤波努准教授(認知科学)と金沢大の井上英夫教授(社会保障法)を中心に昨年8月から活動を始めた「社会福祉と情報技術」研究会。両大所属の教員や大学院生を中心に約15人が参加する。

藤波准教授らのグループは05年から同県能美市のGH4施設で、廊下やリビングなど、個室を除く共有スペースの天井部に「見守りカメラ」を設置。プライバシーに配慮し録画機能はない。台所では10インチのモニターで、職員が食事の準備をしながら入居者の様子をチェック。職員を支える「もう一つの目」として「カメラは相棒」と現場の反応は上々だ。

研究会のきっかけは、藤波准教授の研究室が、見守りカメラを含む認知症介護の研究で「毎日介護賞」に入賞したと報じた08年10月16日付毎日新聞石川面の記事。記事を読んだ井上教授が、入居者の人権の配慮について藤波准教授に聞いた。

藤波准教授は、NPO「全国認知症グループホーム協会」(当時)から「プライバシーの侵害」と反対に遭い、カメラの製品化中止を余儀なくされ、社会福祉系の研究者との議論の場を求めていた。井上教授は両研究室を中心とした共同研究会の立ち上げを打診し活動を始めた。
研究会では、社会福祉系研究者からは▽負担軽減というが、入居者が安心して暮らせる人員を増やすのが先▽むしろ職員の働きぶりが監視され人事考課に利用される−−と否定的意見も。また、技術に頼らず人の手によるケアを重視する社会福祉系研究者に対し、プライバシーに配慮して運用すれば「技術が人間の仕事を減らし合理的」と考える技術者との間で立場の違いも浮き彫りになった。
藤波准教授は「技術者だけでは気付かなかった新鮮な視点を得た。今後も建設的な議論を重ねたい」。井上教授は「入居者自身が『カメラをどう考えているのか』との自己決定の原則を詰めていきたい」と、来年度以降も入居者の人権に焦点をあてた議論を深めたい考えだ。

共同研究会は金沢市内で主催した市民講座の記録などを収録した報告書
国立大学法人北陸先端科学技術大学院大学
http://social-welfare.rgr.jp/databox/jaistpress201102.pdf

■2011.3.11  もう一度「口から食べる」ための工夫を- 東名厚木病院の小山氏
神奈川県座間市のナースケア県央事業所が主催する講演会「胃ろうがあっても口から食べられる!!もう一度、『口』から食べられる!?」が3月10日、同市内で開かれた。この中で、東名厚木病院(神奈川県厚木市)の摂食嚥下療法部の小山珠美課長は、丁寧な口腔ケアや食べやすい姿勢の維持などを工夫することで、経管栄養の高齢者も再び口から食べられるようになると訴えた。

小山氏は、口から食べることによる効果として、高齢者の▽栄養状態が改善する▽心身の満足感を得られる▽生活や社会参加の場が広がる―などを列挙。「誤嚥性肺炎を起こさないための食べることへのリスク管理は(現場で)言われるが、食べないことで廃用症候群になるリスクもある」と述べ、食べられるようにするための創意工夫や支援の必要性を強調した。具体的には、高齢者の身体の状況などに合わせて、▽食事のメニュー▽口腔ケア▽離床▽姿勢が安定するテーブルの選定▽食器や食具の選定―などに留意するよう訴えた。

在宅療養中の高齢者を訪問して栄養指導を行う「地域栄養ケアPEACH厚木」の江頭文江代表(管理栄養士)は、「食事をして『むせる』ことは悪いと思われがちだが、『むせることができる』のは大事。嚥下障害が重く、低栄養の人は十分にむせることができず、肺に食べ物が入って肺炎につながる」と指摘し、栄養状態を良好に保つ重要性を訴えた。

■2011.3.11  障害者への差別ない社会を 基本法改正案を了承
菅政権の障がい者制度改革推進本部(本部長・菅直人首相)は11日朝の会議で、障害者基本法改正案を了承した。障害による差別を禁じ、障害者が地域社会でほかの人々と共生できるように定める内容。今月半ばにも閣議決定し、今国会に提出する。

改正案の取りまとめには、障害者本人や家族といった当事者も議論に加わった。菅首相は、この日の推進本部で、「障害のある方も障害のない方も、ともに共生できる社会を実現する。その第一歩にしたい」と述べた。

改正案では、障害のあるなしにかかわらず同じ教育を受けられるようにすることや、障害者雇用の促進、障害者向けの住宅の確保などを、国や自治体の努力義務として明記。司法手続きの場では、手話など意思疎通の手段を確保することも盛り込まれた。

また、国民に対して、障害の有無で分け隔てられることのない社会の実現に協力することを求めている。

■2011.3.11  研修昼食代に3000円 県の包括外部監査結果 滋賀
滋賀県の障害者施設関連事業を対象にした平成22年度の包括外部監査結果報告書が10日、公表された。精神障害者施設で職員研修の昼食代として規定の3倍となる1人当たり3千円が支払われていたほか、経費として認められていない利用者の親族に対する香典代も支出されていた。

外部監査は9施設の27事業について実施された。報告書ではこのほか、甲賀市の知的障害児施設「県立信楽学園」で指定管理料が割高なことなども指摘している。
監査人を務めた西村猛・公認会計士は「コスト削減を掲げているのに、補助金や委託金のチェック機能が弱い。県民への情報発信も不十分だ」と話している。

■2011.3.14  北関東大震災に係る日本介護福祉士会の対応
日本介護福祉士会は東日本大震災の発生を受け、有志会員を被災地にボランティアとして派遣する。今後、同会では、被災地の災害対策本部と連絡を取り、必要な支援内容を確認した上で、指定された避難所などに有志会員を派遣する。
派遣時期については、被災地の交通事情などを考慮し、決定する予定。

派遣される介護福祉士は同協会の災害ボランティア活動登録者で、避難所などで要介護者の介助や被災者の精神的ケア、避難所での生活支援などに取り組む予定。「既に約70人の会員が登録を済ませている。今回の大地震発生を受け、さらに登録する会員が増えている」(同会事務局)という。

災害ボランティア活動登録者の現地への派遣
http://social-welfare.rgr.jp/databox/H23_saigai_dai2hou.pdf

■2011.3.14  医療・介護の現場に広がる“輪番”の不安- 東日本大震災
3月14日、地域ごとに順番で電力供給を止める「計画停電」が始まった。夕方までは相次いで実施が見送られたものの、需要が集中する午後5時からは、一部地域で実施された。二転三転した計画停電への対応に追われた医療・介護の現場では、今後もいつやってくるかはっきりしない“輪番”への不安が広がった。

■バッテリーを利用した発電機を急きょ準備
埼玉県所沢市にある「はらこどもクリニック」の原朋邦院長は13日夜、翌朝からの計画停電の実施を知ると、ワクチンを保存する冷凍庫用の発電機の確保に追われた。アウトドア用の発電機を買いに近くのホームセンターに走ったが、すべて売り切れ。このため、トラック用のバッテリーを利用して知り合いが作った発電機を受け取りに、クリニックのスタッフが急きょ、群馬県内に車を走らせた。発電機を無事にセッティングしたころには、深夜になっていた。
クリニックがある地域は第1グループに組み込まれ、14日には早朝と夕方の2回、停電を予定していた。
普段は電話やインターネットで診察予約を受け付けているが、計画停電を受けて、来院順に診察する形に切り替えた。電話による予約の殺到を避けるためだ。夕方からの停電に間に合わせるため、昼休み返上で診察を続けたものの、結果的に停電は2回とも回避された。
14日の受診者は普段よりも少ない印象で、計画停電を知った患者側が受診を控えた可能性があるとみている。
「方針がころころ変わると、患者さんもわれわれも困る」と原院長は話す。今後、夕方に計画停電が実施されれば、診療を打ち切らざるを得ない。特に気掛かりなのは、急患への対応だ。停電中には専門病院や拠点病院への電話連絡が困難になる。「東北地方太平洋沖地震が発生した11日には、病院への急患の受け入れ要請に1時間前後かかった。今後、どこかで問題が起きる可能性もぬぐえない」と原院長は危惧している。

一方、東京都の町田市民病院(441床)は、当初に停電が予定されていた午後3時20分から、自家発電による対応を開始。午後に予約があった一部の外来患者の診療日の変更などが行われたほかは、停電の影響は受けなかった。「いつ電力の供給が断たれるかも分からず、不測の事態に備えた。(地震発生の11日から設置した)院内の対策本部での想定通りに対応できている」(同病院総務課)という。

■入浴・食事のスケジュールまで調整したが…
東京都瑞穂町の介護老人保健施設(老健)で、ショートステイも受け入れる「菜の花」は、午後0時20分から4時までの間、電気が止まる第3グループに入ったため、通常は午前10時半から始まる入浴を8時から開始。昼食も30分早め、0時20分までに下膳も終えた。さらに停電の予定時刻直前には、ショートステイの利用者らにも1階会議室に集まってもらったという。
「停電するとエレベーターが使えませんから、1階に下りてもらいました」(難波眞施設長)。しかし、停電は回避された。やむなく職員らは、利用者に謝りながら、レクリエーションルームなどがある4階まで戻ってもらったという。
東京都調布市内にある老健の施設長も、計画停電の最中にエレベーターが使用できなくなる点を問題視する。「高層階のマンションなどに住む人の送迎では、エレベーターは不可欠だから、停電の時は(送迎を)断らざるを得ない。計画停電が二転三転しては、こちらの計画も立てられない。やると決めたらやってくれた方が、利用者も職員も負担が軽くて済む」

■不足し始めたガソリンや物資
計画停電と共に関係者を悩ませているのが、物資が不足し始めていることだ。神奈川県伊勢原市で小規模多機能型居宅介護「絆」などを運営する青木潤一施設長は、「ガソリンが少なく、送迎が難しい点が最大の問題」と語る。
「絆」では、高齢単身世帯など、どうしても必要な人に限り送迎を実施することで、ガソリン不足に対応している。「はらこどもクリニック」の原院長も、「当面は往診や健診以外での車の使用は控える」という。
また、「菜の花」の難波施設長は、ガソリンに加え、食糧も通常通りに確保するのが難しくなっていると指摘する。「牛乳や米、パンなど、東北産や東北経由で調達している食材が十分に入って来ない。現状は、おかゆにしたり、米に麦を混ぜたりするなどして対応している」今後は、西日本方面からの食糧調達を模索する方針だという。

■2011.3.15  医療用酸素ボンベ不足で厚労省対応
厚生労働省は3月15日、医療用酸素ガスボンベを宮城県に230本、岩手県に68本搬送した。両県からの補給要請を受けたもの。これに先立ち厚労省は、工業用ガスボンベを医療用酸素ガスボンベとして使用することを容認する旨の事務連絡を14日付で各都道府県に発出している。

事務連絡では、工業用ガスボンベを医療用酸素ガスボンベとして使用するには、▽酸素ガス専用の工業用ガスボンベ(黒色)を使用する▽暫定的に使用している旨を表示する▽酸素ガスの補充は、薬事法上の製造販売業者または製造業者が行う▽製造販売業者は出荷の管理を行う▽酸素以外の気体の工業用ガスボンベを使用しない▽患者への使用に際し、緊急避難的な状況における工業用ガスボンベの暫定使用であることを可能な限り説明する―ことを条件にしている。厚労省によると、こうした対応は過去に例がないという。

■向精神薬など、処方せんなしでも提供可に
また厚労省は14日付で、医療用麻薬や向精神薬の被災地での取り扱いについて各都道府県に事務連絡した。医師の受診や、医師からの処方せんの交付が困難な患者に対応するため、向精神薬小売業者が必要な向精神薬を処方せんなしで提供することなどを認めている。ただし、医師などへの連絡で患者に対する使用の指示が確認できることを条件にした。

事務連絡では向精神薬のほか、麻薬小売業者が医療用麻薬を提供することを認めている。医療用麻薬や向精神薬を患者に提供した場合には、その記録を適切に保管・管理することを義務付けた。

同省の担当者は「できるだけ連絡は主治医に行い、初めての場合など、やむを得ない場合のみ、主治医でない医師への確認をすべき」としている。
「麻薬及び向精神薬取締法」では、処方せんを所持していない人に医療用麻薬や向精神薬を譲り渡すことを禁止している。

■2011.3.15  TVニュース要約つぶやく 日本福祉大生ら、耳の不自由な人へ
日本福祉大(美浜町)の学生らが、東日本大震災関連のテレビニュースを、耳の不自由な人向けに文字に変え、ツイッターで発信している。学生らは「私たちの“つぶやき”が、情報不足による不安の解消につながれば」と願いを込める。

発信のきっかけは、社会福祉学部4年田島美奈さん(22)=常滑市新開町=が12日夜に見たツイッター。聴覚障害のある都内の女性が「地震のニュースに字幕や手話通訳がなくて困っている」と書き込んであった。

田島さんは、大学で聴覚障害の学生向けに講義の内容などをまとめる要約筆記のボランティア。メールで仲間に呼び掛け、13日午後から書き込みを始めた。夕方と夜に2時間ずつ、交代でテレビに向かい、福島県内の原発の状況や関東地方の計画停電などのニュースの内容を要約してパソコンに打ち込んでいる。関西の大学生も呼び掛けに応じ、発信仲間は10人に増えた。田島さんは19日が卒業式。「学生生活の最後で慌ただしいけど、18日までは頑張りたい」と話している。

■2011.3.15  支払い困難な被災者の医療費自己負担を猶予- 住居全壊など対象に厚労省
厚生労働省は3月15日、東北地方太平洋沖地震や、その後の長野県北部の地震によって住居が全壊するなどして、保険診療などの自己負担分の支払いが難しい被災者について、自己負担分の支払いを5月末まで当面、猶予するよう都道府県などに事務連絡した。

事務連絡によると、対象は震災によって住居が全半壊したか、主な生計維持者が死亡したか重傷を負った被災者。医療機関などでその旨を申し出れば、保険診療の一部負担金や訪問看護療養費などの自己負担分の支払いが猶予される。
猶予した医療機関などは、患者負担分も含めて審査支払機関に請求する。具体的な手続きは追って連絡する予定という。

■2011.3.15  ◇「白い杖に冷たい人多かった」 東日本大震災:視覚障害者、地震当日の体験語る /神奈川
障害者が「帰宅難民」になったら−−。弱視の横浜市鶴見区の新井豊三さん(61)が11日、市内で東日本大震災に遭遇。視覚と聴覚に障害のある友人男性(58)を連れて帰宅するのに苦労した。「異常事態だが、白い杖(つえ)に冷たい人が多かった」と嘆いた。

新井さんは11日午後、リハビリ施設「ラポール横浜」(同市港北区)で友人と卓球をしていた。地震発生後、1人暮らしの2人は白い杖をつき、JR横浜駅まで歩いた。
「コンコースは満員で、点字ブロックを頼りに進んだが、ブロックの上はふさがり、前後左右から我れ先の人々にぶつかられた」。交通機関がストップしたと知らされたが、若い女性が「臨港バスが動いている」と教えてくれた。午後5時半過ぎ、バスに乗った。超満員で通常なら30分ほどで鶴見に着くのに倍かかった。「白い杖に気づきながら誰も席を譲ってくれなかった」

午後7時ごろ、新井さんのマンションに到着。停電中で5階まで階段を歩き、うどんを作って食べた。友人が持っていた携帯ラジオが情報源だった。12日朝、京急電車で帰る友人を見送った新井さんは「もし震源地にいたら、私らは犠牲になっていたろう。大震災だから仕方ないが、こんな時こそ障害者への思いやりがほしかった」と訴える。

■2011.3.15  福祉避難所の開設急務、要介護の被災者ケアを
東日本巨大地震で大きな被害を出した、岩手、宮城の沿岸部は、65歳以上の高齢化率が高い。介護が必要な高齢者も多く、避難所や介護施設などでの手厚いケアが欠かせない。

市内の大半が水没した岩手県陸前高田市の高齢化率は33・5%、約1万人が行方不明になっている宮城県南三陸町も29・3%で、全国平均の22・7%を大きく上回る。高齢者施設で多数の死者を出すなど、多くの施設が被災した。避難所によっては、避難者の半数以上が高齢被災者だ。

阪神大震災で高齢被災者を受け入れた社会福祉法人「神戸福生会」の中辻直行理事長はまず、「しっかり水分補給を」と呼びかける。学校が避難所の場合、校庭の端に仮設トイレが設けられることが多いが、使用をためらい、水や食料に手を出さなくなる人も出がちだ。水分を取らないと、脳こうそくを誘発するほか、体が衰弱する恐れがある。ポータブルトイレの活用や、使いやすいトイレの確保が必要だ。

避難所では床に横になることが多いが、高齢者は立ち上がるのが難しい。中辻理事長は「近くにイスを置けば、それを支えに立ち上がりやすい。2週間もあれば寝たきりになる恐れがあるので、一緒に散歩するなど、周囲も気を配って」と話す。
食事にも注意が必要だ。

2004年に起きた新潟県中越地震の経験をもとに、「災害時の栄養・食生活支援マニュアル」をまとめた新潟県栄養士会の阿部久四郎・前会長は、「入れ歯を無くした高齢者はかめなかったり、のみ込めなかったりするので、濃厚な流動食が必要になる。透析患者や腎臓が悪い人には、低たんぱく米が望ましい」とアドバイスする。自衛隊などの炊き出しは、高たんぱく、高脂肪のメニューになりがちで、高齢者には向かず、被災自治体や県が食材を手配することも必要になる。

一般の避難所は、おむつなどの生活物資や、介護に詳しい人手が不足し、長期間の生活は難しい。そのため、中越地震でも、特別養護老人ホームなどの介護施設で多くの要介護者を受け入れた。

特養「こぶし園」(新潟県長岡市)の小山剛園長は「要介護者のケアを日ごろから行っている介護施設に遠慮せずに声をかけてほしい」と呼びかける。
生活に支障があるため、特別な配慮を必要とする高齢者や障害者ら要援護者を受け入れる「福祉避難所」の開設も急務だ。

厚生労働省は地震発生直後の11日、介護施設などの福祉施設に、被災要援護者を定員を超えて受け入れるよう依頼するとともに、空きスペースや一般の避難所に福祉避難所を設けるよう求めた。しかし、あらかじめ福祉施設などと協定を結んでいる市町村は、岩手で5、宮城で14、福島で11しかなく、3県の2割にとどまる。

新潟大学危機管理室の田村圭子教授(災害福祉)は「高齢者の健康を守るためには、保健師や、介護福祉士ら福祉の専門家を避難所に大量投入することが必要」と指摘する。

■2011.3.16  外国人医師の被災者への医療「違法性なし」- 厚労省
東日本大震災の発生を受け、厚生労働省はこのほど、外国人医師による被災者への必要最小限の医療行為は刑法上の「正当行為」に当たり、医師法上の違法性はなくなるとの事務連絡を、岩手、宮城、福島3県の担当課に出した。同省によると、このような事務連絡を出したのは、阪神大震災以来2度目。

医師法では、外国の医師資格を持つ人でも、日本で医療行為を行うには日本の医師国家試験に合格し、厚労相の免許を受けなければならないとされている。

事務連絡では、「医師法は今回のような緊急事態を想定しているものではない」とし、被災者に対して必要最小限の医療行為を行うことは刑法35条の「正当行為」に当たり、「違法性が阻却され得る」との見方を示している。その上で、現地の実情を踏まえて対処するとともに、関係者に周知するよう求めている。

刑法35条では、「法令又は正当な業務による行為は、罰しない」としている。一方、外国人看護師についても日本の国家試験に合格することが求められるが、同省医政局医事課の担当者は、医師と同様に被災者への看護は「正当行為」と見なされ、違法性はないとの考えを示している。

■2011.3.16  被災障害者への支援呼び掛け 阪神大震災で発足の団体
東日本大震災で被災し、不自由な生活を送る障害者を助けようと、自然災害で被災した障害者の支援を続ける大阪市東淀川区のNPO法人「ゆめ風基金」が、救援金を募集している。

基金は阪神大震災を機に発足。歌手の小室等さんや作家の永六輔さんらが呼び掛け人になり、救援金を送ったり、障害者作業所の再建資金を貸し付けたりしてきた。
事務局によると、避難所はバリアフリー化されていない場所が多く、障害者は極めて困難な生活を強いられているという。事務局は救援金を持って早急に現地に入り、特別な避難所の開設など、活動を本格化させる。

阪神大震災から10年間、毎年1月17日に募金活動を続けていた奈良県三宅町の知的障害者施設「ひまわりの家」は15日から、基金に救援金を渡すため募金活動を始めた。同県田原本町のスーパーの駐車場では、障害者の呼び掛けに多くの買い物客が足を止め、紙幣や小銭を託す姿が見られた。

■2011.3.17  避難の15人死亡、ストレスや疲労原因か
東日本巨大地震の被災者のうち、少なくとも15人が避難所へ向かう途中や、避難後に相次いで死亡していたことがわかった。

そのうち14人は、福島第一原子力発電所(福島県)の半径20キロ圏にある医療機関や福祉施設にいた被災者だった。いずれも高齢者で寝たきりなど重い症状だったという。地震後のショックやストレス、疲労による「災害関連死」と認定される可能性がある。

福島県災害対策本部などによると、死亡した14人は大熊町の双葉病院と、介護老人保健施設「ドーヴィル双葉」に入所していた男性6人と女性8人。14日、避難所の県立いわき光洋高校(いわき市)に向かう途中に2人が死亡し、同高に到着後、さらに12
人が亡くなった。同高の田代公啓校長によると、体育館を避難所として開放。医療スタッフは医師1人を含め4人いたが、医薬品はほとんどなかったという。被災者らは畳の上に毛布を敷き、ヒーターなどを置いて寝ていた。

一方、岩手県陸前高田市の避難所で容体が悪化し、搬送先の病院で16日午前0時頃に死亡が確認されたのは、80歳代女性と判明した。死因は心筋梗塞。夫とともに同市立第一中学校の体育館に設けられた避難所に身を寄せていたという。避難所の関係者が読売新聞の取材に明らかにした。

◆災害関連死=津波、地震による家屋倒壊など直接的な被害による死亡ではなく、被災のショックや避難生活のストレス、疲労で、心筋梗塞や持病の悪化で亡くなるケース。市町村が認定し、災害弔慰金が支給される。1995年の阪神大震災では、兵庫県内の死者6402人のうち、919人が関連死だった。

■2011.3.17  救急救命士の特定行為、被災地の事情に配慮- 厚労省
東日本大震災の影響による医療現場の混乱を受け、厚生労働省は3月17日、救急救命士が行う心肺停止状態の患者への特定行為について、被災地の通信事情の悪化で医師の具体的な指示を得られない場合でも、法律上の違法行為には当たらないとする内容の事務連絡を都道府県などに行った。

現行の救急救命士法で救急救命士は、無線や携帯電話などによる医師の具体的な指示の下、乳酸リンゲル液を用いた静脈路確保のための輸液や、器具を使った気道の確保などの特定行為を行うことになっている。事務連絡では、同法が今回の震災のような事態を想定したものではないとして、刑法35条が定める正当行為として「違法性が阻却され得る」としている。

■2011.3.17  計画停電中の自転車は点灯を、「怖い」と聴覚障害者がツイッターに書き込み/神奈川
「自転車は夕方以降、点灯して」。自転車利用者が多い茅ケ崎市在住で聴覚障害を持つ女性が計画停電中の16日夜、短文投稿サイト「ツイッター」に、自転車の点灯を呼び掛ける書き込みをした。停電で暗い街中を、無点灯で走行する自転車は「怖い」と訴える。

ツイッターを書き込んだのは、テレビ神奈川放送の手話と字幕の番組「目で聴くテレビ」で手話キャスターを務める湊里香さん(46)。計画停電が実施されている16日午後6時ごろ、「私たちのような聴覚障害者や弱者は、見えてくるライトによって身の安全が守られているのです」などと書き込んだ。湊さんは取材に対し、特に背後から自転車が走行してくる際に「ライトが地面に写っていると(自転車が近づいているのが分かって)安心する」と聴覚障害者らの気持ちを代弁した。
県サイクリング協会は「歩道を走行する際には徐行し、夜間には必ずライトを点灯させてほしい」と呼び掛けている。

■2011.3.17  ガソリン不足、弱者支援を直撃 訪問介護、回数減る
東日本大震災の影響で、ガソリン不足が県民の暮らしを直撃している。生活支援が必要な人たちも困っている。

目の不自由な人たちへの生活支援サービスをするNPO法人「ガンダム」=前橋市柏倉町=の樺沢洋代表(60)は「利用者から頼まれても、燃料不足で車を動かせない」と嘆く。

ガンダムは前橋市や高崎市、伊勢崎市などの約90人を対象に、週に2回程度、家庭を訪ねて買い物や通院への同行などをしている。 樺沢さんによると、13日夕方ごろからガソリンが不足し、ヘルパーの定期訪問が難しくなった。地震で割れるなどした食器を片づけられず、自宅でしばらく身動きがとれない利用者もいたという。

今は「薬が切れた」「食料がない」などの切迫した要望を受けた時のみの最低限の支援しかできていないという。 県内の給油所は、休業や給油量を制限する店舗が多い。救急車など緊急車両に限り燃料を売る措置もあるが、ガンダムは各ヘルパーが自家用車を使っているため、一般車両扱いになってしまう。

県内の訪問介護やデイサービスの事業者も同じ悩みを抱え、燃料節約のため徒歩や自転車での移動を取り入れている。訪問先が遠方の場合は回数を減らしたり、同居の家族に介護を依頼して訪問自体をやめたりする例も出ている。

地震の影響で、コスモ石油千葉製油所(千葉県)で火災が起きるなど、東北と関東の6製油所が操業停止した。県石油協同組合(前橋市)は「県内のガソリン不足は徐々に改善しているが、回復にはまだ時間がかかる見込み。福祉事業者だけを優遇するのは難しい」としている。 樺沢さんは「行政が福祉車両に優先措置を設けるなどしないと問題は解決しない。災害が起きれば、弱い立場の人は最低限の生活もできなくなる」と訴えている。

■2011.3.17  避難所に健康不安、インフル感染の危険も
食べ物、水がない。薬がない。暖を取る燃料もない。東日本巨大地震で宮城県や岩手県など東北地方で大勢の被災者が暮らす避難所では、過酷な生活で疲労が深まる被災者らに体調悪化や健康不安が広がり、災害後に被災のショックや避難暮らしのストレスで亡くなる「災害関連死」とみられるケースが相次ぐ。
寒さがぶり返すなか、インフルエンザなど感染症の危険も高まっており、医療支援が急務だ。

「感染症(インフルエンザ、胃腸炎)の疑いがある人があります」「面会できません。避難者名簿を見ることはできます」「静かに。具合の悪い子が寝てます」約300人が避難している岩手県釜石市立甲子小では、玄関付近でこんな貼り紙がされている。小学4年の男子児童が15日、高熱を出し、県立釜石病院で診察。16日にインフルエンザに感染した疑いがあると診断されたためだ。

学校側はこの男子児童を含め、発熱の症状があった子ども8人を、ほかの避難者と離れた職員用玄関脇の教室など2教室に隔離した。体育館のマットや折りたたみ式の座いすを使って急ごしらえの寝床を作り、終夜石油ストーブをたいて、毛布を何重にもかけて温めた。子どもらは朝食のパンとキウイフルーツを食べ、元気を取り戻しつつあるという。

被災者の健康を管理している同小の高橋美智子養護教諭(52)は「みんな疲れている。食事も栄養のバランスも悪い。抵抗力が落ちている。症状が悪くなってからでは感染も広がる。早めに対応することが大事」と警戒する。

同県大槌町大槌の避難所「かみよ稲穂館」では、下痢や吐き気を訴える小中学生や高齢者が8人に上る。水道が途絶え、3日間、大槌川の水を飲んだことが原因とみられる。同町上町、岡田忠司さん(73)は「水を口に出来るだけでもありがたかったから」と話す。避難所に医者はおらず、薬もない。ただ安静にしているしかないのが実情だ。同町福祉課の黒沢愛子・健康推進班長は「薬がないから、手の打ちようがない」と嘆く。

こうした事態に、被災地ではようやく緊急医療チームが動き出した。
釜石市内の中学校体育館では15日夕、日本赤十字社が医療テントを設け、第1陣として北海道からの医師、看護師ら7人が診察を始めた。同日夜に29人、16日は午前中だけで50人が診察を受けた。
津波から避難する際に腰を痛め、吐き気を感じているという釜石市鵜住居町の猪又きみさん(79)は、血圧の薬をもらい、「おかげで昨夜は少し眠れました」とほっとした。

診療にあたっている行部洋医師は「いつも飲んでいる薬を持たずに避難したという人もかなりいる。避難所には高齢者が多く、高血圧の人が多いので心配だ」と話していた。

■2011.3.17  大崎町の障害者福祉事業所が不正受給/鹿児島県指定取り消し
鹿児島県は16日、障害福祉サービス給付費を不正受給したとして、永友(大崎町假宿)が運営する「福祉就労支援一(はじめ)」(同)の事業者指定を取り消した。2006年施行の障害者自立支援法に基づき、指定障害福祉サービス事業者が行政処分を受けたのは県内初めて。

不正受給額は、志布志市と肝付町、大崎町、宮崎県串間市の2市2町が給付した計212万9900円。昨年12月、県に情報提供があり、11年1月13日の監査で不正が発覚した。県の調査に対し、同社は不正請求を認めているという。

県障害福祉課によると、同社は2010年9〜11月、就労生産活動の提供や就労指導をする「就労継続支援B型」(定員20人)のサービスを、利用者に提供していないにもかかわらず提供したように装い、給付費41万3000円を不正請求、受領した。一部の利用者の印鑑を勝手につくり、利用実績を改ざんしていたという。

同年7〜11月には、サービス提供の記録がなく、サービス管理責任者も配置せず、利用契約書や重要事項説明書の作成・交付もしないまま、利用者へサービス提供したとして171万6900円を不正請求、受領した。同課は「新年度に向け、あらためて事業者に法令順守の指導をしていきたい」としている。

■2011.3.17  重度障害者の在宅医療綱渡り 停電とガソリン不足深刻
震災によるライフラインの断絶が、人工呼吸器などが必要な重度障害者の「いのち」を脅かしている。電気とガソリンは機器の作動に欠かせず、復旧の遅れに患者家族や医療関係者の声は悲痛さを増す一方だ。

脳出血で遷延性意識障害となり、在宅生活を送る仙台市青葉区の男性(58)は人工呼吸器とたんの吸引器が手放せない。
地震発生後、自宅が停電した。妻(54)は人工呼吸器を内部バッテリーで6時間、自宅マンションの非常用電源で4時間駆動させた。ついに代替電源がなくなり、病院に救急搬送。辛うじて呼吸をつなぐことができた。妻は「停電は仕方がないと思っている。この先どうなるのか、不安は大きい」と話す。

青葉区の仙台往診クリニックは、人工呼吸器やたんの吸引器が必要な在宅の患者約120人の往診をしている。地震直後の停電で患者は自動車のシガーソケットや自前の小型発電機で電源を代替してきたが、どちらもガソリンが必要だ。このためクリニックは14日、職員総出で手持ちのガソリンを患者宅に配った。
通常、往診や訪問看護には乗用車を使用している。ガソリン不足は今後の診察に支障を来す。川島孝一郎院長は「停電で呼吸器や吸引器が止まる事態になれば救急搬送することになり、被災者の治療でベッドの足りない病院に影響が出る。在宅でしのげるようにする配慮が必要だ」と語った。

宮城県内の停電はなお広範囲に及んでいる。東北電力は3日間予定した計画停電のうち、初日の16日は中止したが、秋田、山形両県と青森県の一部では今後、実施する可能性がある。対象地域の在宅療養患者の生活には深刻な影響を及ぼす。東北電力の一部の支店・営業所は、人工呼吸器などが必要な重度障害者を登録。患者側が準備した予備バッテリーでも不足する場合、小型発電機や移動電源車を回すことにしているが、「数に限りがあり、個別に重要性を相談させていただきたい」と話している。

■2011.3.17  全国自立生活センター協議会 東北関東大震災 障害者救援本部開設
活動主旨及び支援のお願い
今回の大地震に関しては甚大な被害の状況が刻々と報じられています。
この震災で被害にあわれた皆様、ご家族関係者の皆様のことを思うとき、心が痛みます。被害にあわれた方々に、心よりお見舞い申し上げます。
巨大地震に津波といった天災に加え、更に追い討ちをかける「人災」とも言える原発事故災害により、正に未曾有の大災害に見舞われた東日本。毎日各種の避難指示等が出されている中、障害のある人々がちゃんと避難できているのか、避難所で暮らせるのか、私たちは同じ障害のある仲間として、また支援者として心配は尽きません。
私たちは今回の大災害で被災された多くの仲間(障害のある人々)に対して、大至急かつ継続的に必要な支援をすべきであると考え、このたび、「東北関東大震災(東北地方太平洋沖地震)障害者救援本部」を立ち上げました。今後、他のさまざまな団体と協力をしながら、私たちができる支援を全力を尽くして行います。
私たちには阪神淡路大震災の被災経験や支援の経験があります。そして20年近くに及ぶ全国の重度障害者が地域での自立生活の確立を求め続けてきたネットワークがあります。こうした全国の仲間たちの経験や知恵を活かして有効な活動を展開していきますので、全国内外からの支援をお願い致します。

代表:中西正司(全国自立生活センター協議会)
副代表:牧口一二(ゆめ風基金)
<呼びかけ人>
DPI日本会議:三澤了、山田昭義、尾上浩二、奥山幸博、八柳卓史
全国自立生活センター協議会(JIL):長位鈴子、中西正司、平下耕三、佐藤聡
東京都自立生活協議会(TIL):横山晃久、野口俊彦、今村登
ゆめ風基金:牧口一二、楠敏雄
共同連:松場作治
地域団体:江戸徹(AJU自立の家)、廉田俊二(メインストリーム協会)
障害者権利条約批准・インクルーシブ教育推進ネットワーク:北村小夜、青海恵子、徳田茂

なお、先行して取り急ぎ現地入りした仲間から情報を収集していると共に、ガソリン不足、ライフラインの復旧状況、原発事故の影響等、様々な現地状況を見極めつつ、改めて近日中に現地調査隊を派遣し、被災地支援センター(仮称)の開設準備にも取り掛かる予定です。

【事務局】「人材・物資等の協力申込」、「支援相談窓口」、「寄付金受付」等の機能を有する救援本部は、東京と大阪2カ所での事務局体制をとるための準備を行っている最中ですが、東京も准被災地でもあり、体制が整うまで数日を要するため、当面は大阪(ゆめ風基金)が事務局として対応いたします。

■2011.3.18  工夫と努力で介護サービス継続
「地震直後、安否確認のため職員が一斉に車で一人暮らしの利用者宅を回った。幸い全員無事だったが、そこでガソリンを減らしてしまった…」。十和田市洞内の介護老人保健施設「とわだ」職員の中野渡えり子さんは複雑な表情を見せる。

介護福祉施設が充実している十和田市。「とわだ」の訪問介護利用者は、市内をはじめ七戸町、東北町と広範囲にわたる。震災後のガソリン不足で、職員の通勤や施設の車両の運用が難しくなっているが、工夫と努力で懸命に介護サービスを続けている。

雪が舞った17日午後、市内の80代夫婦の利用者宅を自転車で訪れた中野渡さん。「まだ余震が続き、高齢者には不安がある。遠くに住む利用者の家族も心配し、ヘルパーに直接電話が掛かってきた。車より時間がかかっても、自転車で歩き回るしかない」と語る。

同施設は要介護度の低い利用者のサービスを制限するなどの対応を実施。さらに16日から、訪問介護担当の職員は施設に出勤せず、自宅から自転車で回れる範囲の利用者宅に出向き、介護サービスを行っている。

十和田市内では、通所介護や通所リハビリテーションのサービスを休止した施設も出始めている。訪問介護、通所介護サービスを手掛けている同市内の事業所経営者は、「サービスを受けられず、一人寂しく家の中に閉じこもっているお年寄りもいる。十和田はけが人など震災による被害はほとんどなかったが、この状態が続けば人的な二次被害が出かねない」と訴えている。

■2011.3.18  ボランティアは待って 社会福祉協議会に相談殺到
東日本大震災の被災者を支援するボランティア活動の申し入れが、県内各地の社会福祉協議会で相次いでいる。ただ、受け入れ態勢が整っていない状況では被災地が混乱する恐れもあり、県社会福祉協議会は「被災地の状況を把握した上でボランティアを受け入れたい」と説明。現時点では「募金活動や支援物資で協力を」と呼びかけている。

「被災地で手伝えることはないか」「義援金や毛布、ロウソクを送りたい」。15日以降、県社協には支援の申し入れが連日30件以上あった。各自治体の担当部署にも企業や個人から支援を申し込む声が相次いでいる。

県社協はホームページで、ボランティア希望者への対応について「現時点で募集は受け付けていない。被災地の状況を把握次第、ボランティア派遣の方針をお知らせします」としている。

岩国市社会福祉協議会にも週明けの14日以降、「被災者たちを手伝いたい」「いつからボランティアを募集するのか」といった問い合わせが毎日4、5件寄せられている。
2009年と10年に県内で襲った水害で、岩国市社協は被害が出た防府市や山陽小野田市にボランティアを派遣した。今回は、被災地がまだ他県からのボランティアを受け入れておらず、募集を始める時期を決められない状態だという。 担当者は「今回は被害の規模が大きく、行くとなれば相当の食料と物資も持って行く必要がある。希望者は十分な準備をして待っていてほしい」と話していた。

ボランティアや義援金の最新情報は、県社会福祉協議会(http://www.yamaguchikensyakyo.jp)か、最寄りの社協へ。(二宮俊彦、上遠野郷)

■支援物資輸送の準備着々 県内各地で支援物資を被災地に送る準備が始まった。
岩国市では、岩国青年会議所や岩国商工会議所青年部などが支援物資を募集している。
集めた物品は市内の民間企業の倉庫で管理。海上自衛隊岩国基地が被災地で必要なものを選んで順次輸送する。カップ麺は数多く集まっているが、離乳食や粉ミルクが不足気味。飲料も、ゴミが増える缶ジュースより、紙パックの野菜ジュースが喜ばれるという。衣類や毛布は受け付けていない。

■2011.3.18  福祉施設 善意つなぐ 金沢を中継 仙台へ物資
東日本大震災で被災した老人ホームに救援物資を届けるため、全国の高齢者福祉施設でつくる「21世紀・老人福祉の向上をめざす施設連絡会」(京都市)が、大阪から加盟施設を経由して仙台へ物資を運ぶリレーを進めている。十七日朝には金沢市を出発、一刻も早い現地入りを目指して車を走らせている。

連絡会には仙台市の老人ホームも加盟し、事務局に食料や介護用品の不足を訴えているという。流通の混乱で被災地に物資を直接届ける方法がないため、加盟施設が多い関西から日本海側の各地を中継するリレー方式で届けることにした。

非常食や紙おむつなどを積んだ車二台が十六日に大阪市内を出発し、同日午後に金沢市の特別養護老人ホーム「なんぶやすらぎホーム」に到着。同ホームが用意したワゴン車とトラックに積み替えて金沢で募った物資を補充、運転手も交代して十七日朝、次の中継地の新潟市へ向かった。

救援物資は新潟を経て、十七日中に山形市の最終中継地まで到着する予定。なんぶやすらぎホーム施設長の坂口朋美さんは「仙台のホームは一般の人も避難してきており、特に食べ物が足りていないらしい。少しでも早く現地に届けたい」と話している。
関西から仙台へのリレーは十九、二十二日にも出発する予定。事務局には福島県内の加盟施設からも支援要請が入り、物資を届ける方法を検討しているという。 

■2011.3.18  ボランティア希望続々 岡山市社協 事前登録スタート
東日本大震災は18日、発生から1週間を迎え、岡山県内ではボランティアの準備が活発化し始めた。現段階では、被災地は混乱しているため受け入れは困難な状況だが、岡山市社会福祉協議会(社協)は希望者の事前登録をスタート。県も18日、救援物資の仕分けなどに当たる人たちを募集する。

県と県社協には「ボランティアを募集しているか」「現地で被災者を助けたい」といった問い合わせが17日までに約70件寄せられている。だが、被災地は依然、不明者捜索や道路網の復旧作業が続き、物資も足りない状況。「被災者の迷惑になる恐れがある」(県社協)と自粛を促してきた。

ただ今後、被災者の生活支援には多くのボランティアの力が欠かせない。このため、岡山市社協は15日に希望者の登録を始め、17日までに市内外から約60人を受け付けた。受け入れ態勢が整い現地の自治体などから要請があり次第、登録者に連絡する。
問い合わせは市社協(086―225―4051)。

一方、県や各自治体などには「今できる支援を」と、義援金や救援物資が次々届けられている。県では受け付けを始めた14日以降急増し、17日だけでも688人が持ち込んだ。このため県は土日祝日の対応と午後7時までの受け付け延長を決定。18日にボランティアを募集し、21日まで県庁内で寄せられた毛布や紙おむつなど救援物資の仕分けや梱包作業に職員とともに当たってもらう。問い合わせは県民生活交通課(086―226―7287)。

救援物資は県が一括して陸上自衛隊三軒屋駐屯地(岡山市北区宿)に集め、避難所などに届ける予定。個人が直接、被災地や同駐屯地に持ち込むことはできないという。

■2011.3.18  燃料不足で看護・介護も影響深刻
東日本大震災による燃料不足の影響で、県内の訪問看護・訪問介護サービスが縮小している。家族に点滴の取り外しなど医療的処置を緊急依頼し、訪問回数を減らす事業所が出ているほか、食事、排せつ、清掃など、日常生活のケアを縮小する介護事業所もある。一方、「デイサービス」の相次ぐ休止で、「訪問」を求める在宅高齢者が増加。事業所はニーズに十分にこたえられない状況だ。介護現場は混乱しており、高齢者の不安と負担が増している。

青森市の訪問看護ステーションあおい森は、週100回程度行っていた訪問回数を、震災後は3〜4割減らした。
症状が重い患者にはこれまで通りの訪問をしているが、容体が安定している患者は、毎日行っていた訪問を週3回程度に抑えている。訪問回数が減る分、点滴の取り外しなど、家族の協力を緊急避難的に依頼している。新規の利用申し込みは受け付けていない。

所長の泉美紀子さんやスタッフは「訪問ルートを再編成し、効率的な訪問を心掛けている。ガソリン不足が続くと、重症の患者さんの訪問も厳しくなる」と危機感を表す。
おいらせ町訪問看護ステーションも訪問を制限。看護師長の上野留美子さんは「例えば、おしっこの管(尿道留置カテーテル)を使っている人が5〜6 人いるが、週3回の膀胱(ぼうこう)洗浄を2回にして、後は水分を多く取るよう家族らに協力をお願いしている。また、床ずれについても、(状態を悪化させないため)家族の協力が必要」と話す。

同町ではデイサービス、デイケアを提供していた9カ所のうち6カ所がサービスを休止。その影響で在宅訪問サービスを希望する高齢者は増えているが「(ガソリン不足などにより)希望に十分に応えることができない」と上野さんは悔しがる。
看護のほか、介護の現場も状況は厳しい。青森市のある訪問介護事業所は17日、訪問介護の一時休止を決めた。ヘルパーの通勤すらできないほどガソリンが足りないという。

同事業所管理者は「気になる認知症の利用者もいるのですが…」と言葉を濁した。
県内の多くの医療・福祉関係者は「デイケア中止などによって、高齢者の不安、家族の負担は増えている」と指摘。訪問事業の必要性を強調するが「燃料がないと巡回できない」とジレンマを語る。健生訪問看護ステーションたまち(弘前市)の工藤千恵子所長は「訪問看護は命に関わること。緊急車両のように給油の優先度を高めてほしい」と訴えた。

■2011.3.18  「いわきは個人も事業所も過剰反応」- 放射性物質漏れで吉田・福島県病薬理事
日本病院薬剤師会は3月18日、福島県いわき市の舞子浜病院に勤務する吉田憲一・福島県病院薬剤師会理事から16日付で寄せられたメールの内容を公表した。吉田理事は「いわきは原発から50キロも離れているのに、個人も事業所も過剰に反応しているといった状況」と報告している。

メールによると、吉田理事ら職員は、拡散してしまった放射性物質から少しでも身を守るため、ビニール袋を頭からかぶり、被災した職場に毎日出勤しているという。また、屋内退避勧告による物流関連企業各社の事業所内待機や配達便数の縮小で、医薬品の配達が制限されているとした。
さらに、市内の薬局が店舗を閉めたことから、院外処方の応需が止まってしまい、外来患者にとってかなりの打撃となっていると報告した。

■2011.3.18  被災で入院の重度障害者、生活支援利用可に- 厚労省
厚生労働省は3月18日、東日本大震災で被災し、入院しているALSなどの重度障害者の生活支援について、医療機関内であっても障害者自立支援法の居宅介護や重度訪問介護、介護保険の訪問介護の各サービスが利用できるとする事務連絡を、都道府県などにあてて発出した。

一方、入院ではなく、電源確保などの目的で一時的に医療機関に滞在している場合はこれに該当せず、避難先を居宅と見なして必要なサービスが提供されることになる。
通常、重度障害者が入院した場合の生活支援は、その医療機関の看護職員によって行われる。しかし、被災地の医療機関が定員を超えて患者を受け入れていることなどを勘案し、ヘルパーらが提供する各サービスの利用を可能にした。

■2011.3.18  要介護者のために福祉避難所オープン 宮城
東日本大地震による避難生活が長引く中、高齢者や子供ら「災害弱者」への対応が課題となっている。宮城・石巻市は、介護が必要な高齢者らに向けた「福祉避難所」をオープンした。

石巻市の稲井中学校の体育館に設けられた福祉避難所では、学校の職員や看護師らが、畳を毛布でくるんで作った即席のベッドなどで受け入れ態勢を整えた。歩くのも難しい入所者のために、移動式のトイレの周りは段ボールで囲む。
この福祉避難所では、被災者のうち介護の必要がある高齢者ら約120人を受け入れる。しかし、介護にあたるのは石巻市立病院の医師や看護師ら約30人で、一人で複数の入所者を受け持つことになる。

受け入れる施設はできたものの、電気もガスも通っておらず、スタッフも不足するなど、災害弱者への対応は被災地の大きな課題となっている。

■2011.3.19  釜石で入院患者8人が死亡 停電でたん吸引できず
釜石市の釜石のぞみ病院で、11日の巨大地震に伴い起きた停電でたんの吸引装置が使えなくなり、70〜90代の入院患者8人が肺炎などを悪化させ死亡したことが18日までに分かった。

病院によると、入院していた約140人中、半数ほどが定期的なたん吸引の必要な患者で、電動の吸引装置を使っていた。停電後、医師や看護師が手動で吸引して回ったが、8人は気管支にたんが入って誤嚥(ごえん)性肺炎を起こすなどし、16日までに死亡した。

電気は16日に復旧したが、装置は圧力配管が損傷したため、まだ使えない。他の患者約10人も症状が悪化しており、別の病院への搬送を待っている状態という。
釜石のぞみ病院は内科、外科などを開設し、病床数は154床。うち102床は療養病床で入院患者は高齢者が多い。同病院が入る市保健福祉センターは津波で1階部分などが大きく壊れ、一帯は電気、水道などの生活インフラが断絶した。停電中は懐中電灯で患者対応にあたることを余儀なくされたという。

■2011.3.19  八戸の七洋 介護事業優先で給油
東日本大地震の影響によるガソリン不足を受け、八戸市の石油製品販売業者「七洋」は18日、市内で経営する2カ所のガソリンスタンドで、介護事業者を優先した給油サービスを実施した。給油を受けた介護事業者は「訪問介護に使う車を動かせる」と、ほっとした表情をみせた。

同市によると大地震発生後、ホームヘルパーらが訪問介護に使用する車のガソリンを十分に確保できない状態が続いている。一部事業者は利用者へのサービス提供を制限しているという。

七洋は市内でグループホームを経営しており、同業者の苦境に「人ごとではない」(森清取締役営業部長)と、入荷量が限られるガソリンをやりくりして給油することを決断。18日は1台当たり20リットル、130台限定で給油した。
給油を受けた同市大久保の瑞光園ホームヘルパーステーション・主任山口幸人さん(32)は「通常、1日70〜80件の訪問介護を半分程度に制限した上、ヘルパーは徒歩や自転車でサービスに歩いてしのいでいる状態。1台につき20リットルの給油でも、軽自動車なら2〜3日はもつ」と歓迎していた。七洋は今後も、介護事象者優先の給油を検討している。

■2011.3.19  介護最大手のニチイ学館、12施設と連絡とれず
介護最大手のニチイ学館は19日、被災地にある施設のうち、12カ所と連絡が取れていないと発表した。

連絡が取れていないのは、いずれも通所介護施設「ニチイケアセンター」で、
▼釜石(釜石市)、宮古(宮古市)=岩手県▼石巻(石巻市)、角田(角田市)、角田中央(角田市)、しおがま(塩釜市)=宮城県▼宇多の郷(相馬市)、南福島(福島市)、いわき(いわき市)=福島県▼日立(日立市)、ひたちなか(ひたちなか市)、上水戸(水戸市)=茨城県。石巻では、津波の被害を受けたことを確認している。
19日までに従業員4人の死亡を確認。訪問介護先の様子を見にいって、津波の被害にあった人もいたという。

■2011.3.20  灯油で温まって 県知的障害者支援協が福島の施設へ送る
東日本大震災の被災者を支援するため、県内の64知的障害者支援施設でつくる「県知的障害者支援協会」(小板孫次会長)は19日、福島県内の知的障害者施設に向け灯油3キロリットルを送った。

福島県知的障害者福祉協会と連絡を取ったところ、被災地の施設で暖房機器に使う灯油が不足していることを知り、緊急輸送を計画。岐阜県と福島県も協力し、今回の輸送に至った。

まとまった灯油の提供と輸送には、美濃市吉川町のオイル販売会社「中濃オイル販売」(河合芳美社長)が協力。灯油代は同支援協会の会費の一部を充てた。灯油は福島県内の約60施設に直接届けられるという。

同市生櫛の県中濃総合庁舎駐車場で行われた出発式では、灯油を積んだトラックに乗り込んだ河合社長と同支援協会職員の2人を関係者ら12人が激励し送り出した。
小板会長は「あちらはまだ厳しい寒さと聞いている。無事に届き、少しでも温まってもらえれば」と話していた。

■2011.3.20  物資届けに被災地入り決断 中津の福祉施設
困っている人々に一刻も早く物資を届けたい―。中津市の高齢者福祉施設が19日、東日本大震災の被災地・仙台市に向け、支援物資を満載したトラックを送り出した。燃料不足などから公的支援が行き届かず、38万人以上が厳しい避難生活を続ける中、交流のある社会福祉法人などに直接、物資を運び込む作戦。民間の力で支援の道を切り開こうと被災地入りを決断した。

物資を送るのは介護保険総合ケアセンター「いずみの園」(冨永健司施設長)。午前10時前、職員ら約40人が集まり、薬や生理用品、使い捨て食器、缶入りの豚汁や雑炊などを詰めた段ボールを、4トントラック1台に積み込んだ。
運転するのは西畑建設(同市耶馬渓町)専務の西畑修司さん(53)ら3人。「何としても加勢したい。可能なら救援活動にも加わりたい」と、21日までの到着を目指す。
震災発生後の17日、冨永施設長が仙台市のNPO法人「全国コミュニティライフサポートセンター」、社会福祉法人「東北福祉会せんだんの杜」と電話で連絡を取り、現地の状況を詳しく知った。他施設からの避難者も受け入れ、米やおむつが足りないことも判明。福祉関係のセミナーなどを通じて交流があっただけに、「確実に物資を届ける手段の一つ」(八田淳子企画課長)と支援を決めた。
施設内に備蓄していた250人・3日分の食料を拠出。市内の個人・企業などから寄せられた食材のほか、職員が近くの店を駆け回って買った品もある。現地では、周辺の避難所にも物資が融通されるという。

運搬役の3人は「現地に迷惑を掛けるわけにはいかない」と10日分の食料などを持ち、車中泊も覚悟する。トラックは緊急車両として登録。最大の課題だった燃料は、埼玉県越谷市で西畑さんの息子が働く建設会社に頼み込み、満タン分(100リットル)を確保した。
「これで400キロは走れる。帰るころには状況も改善しているはず」と西畑さん。冨永施設長は「最初に犠牲になるのはお年寄りや子ども。何としてでも届けたい」と話した。

■2011.3.20  震災寒さ乗り切って 栗原・一迫の燃料店 2福祉施設に灯油寄贈
東日本大震災で燃料不足が続く中、宮城県栗原市一迫の燃料店「鹿野静商店」は19日、市内の高齢者福祉施設と障害者福祉施設に灯油各200リットルを無償提供した。
提供を受けたのは、築館の託老所を併設するデイサービスふれ愛館、一迫のNPО法人みやぎ身体障害者サポートクラブ「サポートセンターころんぶす」。同商店が16日に申し出た。

13人の入所者を抱えるふれ愛館の三浦美千雄管理者(57)は「灯油の残りがわずかだったので日当たりのいい部屋に移るなど節約してきた。涙が出るほどありがたい」と感謝の気持ちを述べた。
鹿野静商店は「少しでも寒さを解消し、震災を乗り越えてもらえればうれしい」と話している。

■2011.3.20  送る物資 想像力を〈伝えたい―阪神から〉
■松藤聖一さん(61) 元宝塚市職員
阪神大震災のときは、兵庫県宝塚市の職員で、福祉推進課長と福祉総務課長を兼務していた。あの頃は災害は福祉が担当する時代だった。午前5時46分に地震が発生し、家財がぐちゃぐちゃで足の踏み場もない西宮市の自宅を出て、薄暗い中、単車で市役所へ向かった。
到着したのは午前7時ごろ。その日から、市内70カ所の避難所に集まった4万人の市民への救援物資の手配に奔走した。 地震から1日たって、ドーナツ1千個、毛布3千枚、おにぎり9千個、みかん6箱、救急セット1千個などが市役所に届いた。広島市や松山市、企業、宗教団体が夜通しかけて車で届けてくれた。
物資は24時間絶え間なく届き、職員食堂と市民ホールが埋まった。職員数十人が仕分けと受け入れのチームに分かれたが、学生ボランティア4人が24時間泊まり込みでさばいてくれて助かった。
仕分けや避難所への搬送に大きな役割を果たしたのがボランティア。新潟県上越市からトラックで来てくれた10人以上の職員の方たちには大変お世話になった。配送会社も無償で協力してくれ、押し寄せるボランティアを配置するコーディネーターや、リーダーの存在も大きかった。
救援物資は想像力。いま何が足りないか、現地に思いをはせて考えて欲しい。我々の場合は新品の下着がうれしかった。自宅が全壊した人は、着の身着のまま家を飛び出していた。米や炊き出しの材料になる生鮮食品も助かった。意外かもしれないが、避難所から会社へ通勤する人たちにはワイシャツが喜ばれた。 カセットコンロには希望が殺到。ただ、それまで順調にいっていた分配の仕組みや秩序が機能しなくなってしまって困ったときもあった。

■1箱1種類 仕分け楽に
個人からの支援物資は、家にあるものをかき集めて段ボールに詰め込むのではなく、1箱1種類にしたらいい。家に眠っている品を仲間で出し合い、1箱分にまとめる。マジックで大きく「これは全部せっけんです」「この箱はすべて子供用下着です」と書く。仕分けが楽になり、素早く被災者に届けられる。
悔やまれたのは、ただ一度だけ商売に乗ってしまったこと。発生翌日、業者が毛布を売りに来たので買ったが、今から思えば高かった。だが、あとの数万という物資はすべて善意だった。それにどれだけ支えられ、勇気づけられたか。今度は私が心を添えた支援をさせてもらいたいと思っています。

■2011.3.20  「高齢の被災者受け入れを」- 国境なき医師団・黒崎会長
警察庁によると、3月20日午後3時現在、東日本大震災による死者の数は8199人に達し、最も多い宮城県では4882人に上る。NPO法人「国境なき医師団日本」は現在、医師や看護師ら12人が計4チームに分かれて、同県内の南三陸町などで援助活動を行っている。地震発生直後の12日から2日間、現地で活動に当たった黒崎伸子会長は、慢性疾患を持つ高齢の被災者が多いことから、「受け入れる施設があれば、どんどん受け入れてほしい」と話し、医療機関に協力を求めている。

◆現地をご覧になって、どのようなご感想を持ちましたか。
地震後の津波でこれほど大きな被害を受けたのは、日本では初めてのケースだと思います。わたしは2004年にインドネシアのスマトラ沖地震で援助活動を行った経験があるので、現地の状況は大体イメージできましたが、やはり先進国と発展途上国の違いは感じました。
日本は道路が非常に整備されていますが、逆にそこがふさがってしまうと、身動きがとれなくなってしまう。スマトラ沖地震の時には、山の中など何とか入っていけるスペースがありました。その意味では、今回の方が動きづらいと言えます。最初の数日間は、目の前の支援物資を届けることができないもどかしさを感じました。

◆現地ではどのような活動を行っているのでしょうか。
 わたしたちは、できるだけ医療にアクセスできない被災者を助けたいので、周囲から孤立している場所をターゲットにして、そこで活動を行っています。そこに着くまでの道がない場合も多いのですが、援助のすき間というか、ポケットになっているところを探しています。手遅れにならないように、現地で診療に当たる部隊と、ポケットになっている場所を調査する部隊が同時に動いています。

◆医師は何人ですか。
現在は4人です(20日現在)。DMAT(災害派遣医療チーム)と同じように、最初は外科系と麻酔、それから救急医療の医師が現地に向かったのですが、地震よりも津波の被害が大きいので、その後どんどん入れ替わって、今は内科だけになりました。
あとは看護師2人と、臨床心理士、コーディネーター(全体の調整役)、アドミニストレーター(財務・雇用担当)がそれぞれ1人、それから現地でさまざまなセッティングを行う「ロジスティシャン」が3人います。医師や看護師がいるだけでは十分な活動ができません。ロジスティシャンは、電話を通じるようにしたり、電気のジェネレーターを使えるようにしたり、現地で働く環境を整備するため、非常に重要な役割を担います。

◆医薬品や燃料など、さまざまな物資が不足していると思いますが、現在、どのようなニーズが多いのでしょうか。
わたしがこちらに戻ってきた日に、足りない薬のオーダーが現地から入りました。血圧のお薬とか、血小板凝集抑制剤とか、あとは睡眠導入剤みたいなものもありましたが、高齢者が飲まれるものがほとんどでした。オーダーのあった9000人のうち、6割が高齢者ということで、1か月分の慢性疾患用の薬を送ったら、「1日分にしかならない」と言われて驚いたのですが、それぐらい慢性疾患の方が多いということです。せっかく薬を届けても、1日分にしかならないのでは意味がありませんし、こうした薬は飲み続けないと効果が出ません。輸送ルートの確保や薬の納品が難しいという問題もあるので、薬の供給不足がこのまま続くのであれば、重症な方は一時的に避難していただく必要があると思います。

◆現地で活動する上で、何か問題はありますか。
阪神淡路大震災ではボランティアやNPOが活躍しましたが、まだNPOへの信頼感というか、「NPOと一緒に支援しよう」という体制が日本では整っていないように感じます。今回は幸い、医師会の先生やほかの方々のサポートで、すぐに動くことができましたが、それができなくて困っているNPOもあるでしょう。NPOと連携することで、もっと早く物流も改善されるのに、非常に残念です。NPOやNGOはさまざまなネットワークを持っているので、最初の段階で県庁の中にそのための窓口を作っていただければ、それをもっと生かせたでしょう。これから声を大にして訴えなければならないと思っています。

◆今後、どのような活動を行う予定でしょうか。
まだスムーズとは言えませんが、物流が少しずつ改善されているので、水や食料、毛布といった支援物資を今後も積極的に送るつもりです。病気の悪化の予防にもつながるので、現在、そのための準備を進めています。

◆医療者の方にメッセージをお願いします。
津波の場合、外科的な治療が必要な被災者は非常に少なく、既に亡くなっているか、あるいは行方不明になっている方と、それほど重症ではない方に分かれます。高齢者の多い地区で起こった今回の震災は、過去の地震とはまったく違います。被災地には慢性疾患を持つ高齢者が多いので、そういった方々を受け入れる施設があれば、たくさん受け入れてほしい。とにかく早く、バスを出してでも引き取りに行っていただきたい。5人でも10人でも構いませんので、施設の空きスペースに順番に入れていただく。重症の方は必ずアセスメントして、例えば85歳以上の方を優先するといったやり方がよいのではないでしょうか。

■2011.3.20  東日本大震災 無休で介護、職員疲弊 宮城・石巻の施設
宮城県石巻市の牡鹿半島の被災地では、高齢者の介護が苦境に立たされている。震災を認識できない認知症の高齢者がストレスを募らせ精神的に不安定になっているほか、介護スタッフはほぼ無休で働き続けている。笑顔を絶やさず振る舞っているが、体力の限界が近づいている。

牡鹿半島の先端に位置する「清優館デイサービスセンター」。日帰りの通所施設だが、17日現在で要介護3〜4の高齢者22人が避難生活を送っている。
「いつかは見通しが明るくなるんでしょうか」。介護スタッフの安藤けえ子さん(41)は不安を打ち明ける。震災以来、物資はほとんど届かず、施設に備蓄していた食料や薬を無料で供出しながら介護を続けている。

高齢者は、食事や服薬が制限されストレスは募る一方だ。その中でも認知症高齢者の多くは震災が起きたことを覚えておらず、停電で夜に暗闇になると「電気を消さないで」と動揺する。情緒不安から泣いたり徘徊(はいかい)する頻度も増加している。
介護スタッフは、高齢者らと同室で寝泊まりしており、十分な休息は取れていない。介護スタッフの亀山宏子さん(27)は「笑顔だけは絶やさないようにしている」と気丈に振る舞っていた。

■2011.3.20  子供のストレス障害に注意 「大人が安心させてあげて」
東日本大震災から10日が経過し、被災地の避難所や病院では、発熱や嘔(おう)吐(と)といった体調不良を訴える子供が増えているが、大震災による「急性ストレス障害」の可能性が高いと指摘する声もある。見えない心の傷を負った子供たちにどう接すればいいのか。

「恐怖体験やショック、環境の変化から急性ストレス障害になるのは当たり前だ。周囲の大人が『大丈夫だよ』と言って安心させてあげることが大切」こども心身医療研究所(大阪市)の冨田和巳所長はこう指摘する。

冨田所長によると、急性ストレス障害では、頭痛や嘔吐、下痢、発熱といった風邪と似た症状が表れるため、「小児科を受診して風邪薬や解熱剤を処方されるケースもある」という。

ゼロ歳児でも、母親や周囲の大人の不安定な精神状態を鋭敏に感じ取り、床に頭を打ち付けたり、髪の毛が抜けたりするなど、ストレス障害の症状が出ることもある。
冨田所長は「親や先生などがしっかりした姿をみせることが予防、改善への一番いい方法」と訴え、一方で、今後の課題として「多くの震災孤児を誰がケアするのか」を挙げる。

平成7年の阪神大震災で、ボランティアとして活動した「菅原クリニック」(京都市)の菅原圭悟院長は「校庭で笑顔で遊ぶ子供たちとか、子供は被災地でも元気だというのは幻想だ」と訴える。

阪神大震災では大人や子供を問わず、心的外傷後ストレス障害(PTSD)の被災者が多く現れ、「PTSD元年」とも呼ばれた。PTSDは急性ストレス障害後に発展することがあり、ふとしたきっかけで恐怖体験がよみがえり、不安感に襲われたり、不眠、物忘れなどの症状が表れる。菅原院長は「児童は身体症状に不安が隠れてしまう。でも児童を診ることのできる精神科医がどれだけ現地にいるか」と危惧する。

阪神大震災後は「心のケア」が叫ばれ、恐怖体験を聞き出す、吐き出すということが効果的だとされる。しかし、菅原院長は「PTSDの人は想起することを嫌うし、悪化する恐れがある」と指摘した上で、「子供に対しても見守りつつ、要望があれば支援してあげるのがいい」と提言している。

■2011.3.20  妊婦や乳児特化の福祉避難所 人工透析患者向けも 新潟県長岡市
長岡市は20日、長岡ロングライフセンター(同市日越)に要介護者や妊婦、乳児の受け入れに特化した福祉避難所を開設したと発表した。
市医師会と連携し、医師と市の保健師が巡回、体調管理などを行っていく。乳児ら本人のほか家族も受け入れる。定員は70人で、19日から受け入れを始め、20日午後3時現在、32人が入った。

また、長岡市高齢者センターけさじろ(同市今朝白)は人工透析患者に特化した福祉避難所とした。入所した透析患者をバスで治療施設の喜多町診療所、長岡赤十字病院に送迎する。20日現在、透析患者59人と医療スタッフ22人を受け入れている。 
このほか、福島県南相馬市から約500人が避難している南部体育館、北部体育館にも医師と保健師が巡回している。

■2011.3.20  宮城県の9市町が土葬へ 仙台市は身元不明者に限定
東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県で仙台市や南三陸町など9市町が犠牲者を土葬する方針を決めたことが20日、県などへの取材で分かった。仙台市などは身元不明者に限定する。一部の自治体では22日にも実施する見通し。

11日の震災後、収容遺体の安置期間は長期化している。燃料不足も重なって火葬能力に限界があり、遺体の尊厳を保つ上でも早期に埋葬する必要があると判断した。ただ行方不明となった家族を捜す人もなお多数おり、反発も出そうだ。

県によると、「仮土葬」とし、遺留品は別に保管する。今後身元が判明して遺族らが希望すれば、掘り起こして火葬することも可能。一定期間、経過しても身元不明の場合はそのまま「本土葬」とする。埋葬先は原則、遺体を発見した自治体となる。

これまでに土葬方針を決めた9市町は仙台、気仙沼、東松島、石巻、名取の5市と南三陸、女川、山元、亘理の4町。七ケ浜町も土葬を検討していたが、遺体数が少ないことから撤回した。今後も自治体によって方針を変更する可能性がある。

仙台市は、青葉区の市営葛岡墓園に墓地を整備、遺留品は別に保管場所を設ける。同市の奥山恵美子市長は20日の災害対策本部会議で、こうした準備が整い次第、身元不明者に限り土葬する方針を示した上で「一段落すれば慰霊碑を建立し、安らかにお眠りいただくよう祈りたい」と述べた。

宮城県では、これまでに5千人を上回る遺体を収容。県警によると、このうち約8割は身元不明分を含めて引き取られず、収容所に安置されている。震災で多くの犠牲者が出ている岩手、宮城、福島3県のうち、岩手県では釜石市が土葬する方針。福島県では現時点で土葬する市町村はない。

■2011.3.20  南相馬のホーム入所者228人が横浜に移動
横浜市旭区の老人介護保健施設「老健リハビリよこはま」は20日、福島県南相馬市の社会福祉法人「南相馬福祉会」が運営する特別養護老人ホームの入所者228人を受け入れたことを明らかにした。

同施設によると、到着後、80代の女性1人が体調不良で市内の病院に入院した。西方敏博事務長は「もともと体調が良くない上に震災があった。長距離の移動もこたえたのでは」と話している。

同福祉会では19日の入所者の移動中、80代の女性2人が死亡したと説明していたが、実際は男女2人だったと訂正。移動の際に亡くなったのは80代の男性入所者で、南相馬市を出発する前に90代の女性入所者が体調悪化により死亡した。到着日の夜は、入所者の一部は布団などが敷かれた玄関ロビーで体を休めたが、20日からは部屋で休んでいる。

■2011.3.20  介護職員ら5971人、被災施設に派遣可- 厚労省・調査
東日本大震災で被害を受けた社会福祉施設へ派遣できる介護職員などの人数について、厚生労働省は3月20日、都道府県を対象に行った調査の結果を公表した。

それによると、同日午後2時現在、派遣可能な介護職員らの数は5971人。同省では当初、28日からの派遣を想定していたが、現地からの要請があればそれ以前でも随時派遣するとして、そのための調整を行うよう、この日、都道府県などに周知した。

厚労省はまた、被災地で避難生活を送る高齢者や障害者ら、要援護者の受け入れが可能な他の都道府県の社会福祉施設やその人数について、同様に行った調査の結果も公表。同日午後2時現在、要援護者の受け入れが可能とした施設は高齢者関係施設が2万8929人と最も多く、以下は児童関係施設6745人、障害者関係施設5345人、保護施設685人の順。高齢者関係施設のうち、特別養護老人ホームは1万227人、老人保健施設は4377人だった。

介護職員らの派遣時期や要援護者の受け入れについて、同省では被災した県の希望や施設の受け入れ体制などを踏まえた上で、都道府県とのマッチングを行うとしている。

■2011.3.21  南相馬市の老健施設など入所者88人を受け入れ ☆新潟県長岡市
新潟県は21日、福島県の南相馬市の老人保健施設の入所者88人を長岡市の社会福祉法人長岡三古老人福祉会、特定医療法人楽山会の特別養護老人ホーム、老人保健施設など9施設へ受け入れた。

東日本大震災で施設維持が困難となり、福島県内の施設で収容も難しいため、厚生労働省と福島県からの要請を受けて長岡市の施設が受け入れることになった。

■2011.3.21  東日本大震災:実習船「湘南丸」、いわき市内で被災の知的障害者ら乗せ帰港/三浦
県立海洋科学高校の実習船「湘南丸」(646トン)が21日、福島県立いわき海星高校の実習船「福島丸」(499トン)とともに、いわき市内で被災した知的障害者ら33人を乗せ、三浦市三崎の三崎漁港に帰港した。

両船で神奈川県内に避難したのは、いわき市内を中心とする知的障害者30人と重度障害者3人。荒天の影響で同日午前8時の到着予定が約1時間遅れとなった。

三崎漁港には強い雨が降りつけたが、33人は県職員らの手を借りたり、おぶわれたりしながらひとり、またひとりと下船。迎えのバスに乗り換え、避難先の横須賀老人ホーム(15人)=横須賀市野比=、県立ひばりが丘学園(同)=横浜市港南区=、三浦しらとり園(3人)=横須賀市長沢=へと向かった。湘南丸は18日夜、救援物資の水と食料、毛布を積み込み、福島丸とともにいわき市の小名浜漁港へ出港していた。

■2011.3.21  東日本大震災:被災者575人受け入れ、福島出身が多く高齢者は半数近く/神奈川
神奈川県は21日、同日までに県内の一時避難所や社会福祉施設に身を寄せた被災者が575人に上ると発表した。東京電力福島第1原発の事故の影響で福島県出身者が多く、高齢者が半数近くに上っている。

障害者施設、高齢者関係施設計13カ所で274人。このうち228人は19日、横浜市旭区の施設に福島県から到着した。運営する愛優会によると、21日までに家族が引き取ったり、入院したりして約40人が施設を離れたという。

また県と10市町が体育館や福祉会館などに設置した一時避難所では、川崎市が同市中原区のとどろきアリーナに県内最多の106人を受け入れた。続いて綾瀬市69人、横浜市48人、開成町22人など、それぞれ対応している。

県と神奈川新聞社の集計によると、一時避難所として提供可能な施設240カ所では最大6万5400人(18日時点)が収容可能で、十分空きがある状態。今後、県内12市町が新たに設置する見通し。大磯町が22日から、藤沢市が23日から開設。山北町は4月10日以降、3月に廃校となる小学校を開放する。

■2011.3.21  障害者 忘れないで
各地の避難所には、障害のある人たちも身を寄せている。周りの少しの心がけが、安心につながる。

http://social-welfare.rgr.jp/img/3660kv4fa.png

◆物資配る時 館内放送を
「救援物資を配布するときには、アナウンスもしてほしい」。阪神大震災で被災した視覚障害者を支援した日本ライトハウスの堺真理さんはそう訴える。物資到着や配給の様子を自分の目で確認できない視覚障害者の中には、必要な物を受け取れない人が多かった。

視覚障害者の存在に、周りが気づくことがまず重要だ。「杖を持たずに避難してきた視覚障害者もいる。そういう人には杖を用意して。事情を知らない人も気づきやすくなる」阪神で被災障害者支援をしたことから生まれたNPO法人「ゆめ風基金」(大阪市)が全国の障害者団体に行った防災アンケートでも、多くの指摘が寄せられた。「間仕切りで空間確保を」「視覚障害者は壁づたいに歩く。壁際は通路として確保した方がいい」
◆紙とペン不足 筆談困難
聴覚障害者も同様の状況にある。兵庫県聴覚障害者協会の嶋本恭規事務局長は「普段は携帯メールが頼りだが、つながりにくくて苦労しているはず。筆談も紙とペンが不足した状況では難しい」と心配する。聴覚障害者の存在を把握するため、「聴覚障害の方は申し出てください」と掲示する方法もある。

自閉症や発達障害の人たちは、人が大勢集まる場所でパニックを起こすことがある。声を上げている人がいても好奇のまなざしで見ず、少し距離をおくことが必要だ。間仕切りで区切った空間に誘導したり、屋外で休ませたりしたい。

日本自閉症協会は「自閉症の人たちのための防災ハンドブック」をインターネット(http://www.autism.or.jp/bousai/)で公開している。

「ゆめ風基金」の橘高千秋事務局長は「障害者はすべての被災者のカナリア的な存在。彼らが過ごしやすい環境はほかの被災者も過ごしやすいはずだ。周りの人々が想像力を働かせ、助け合ってほしい」と話す。

■2011.3.22  タイガーマスク」から地域で助け合う福祉を 千曲市で集い
昨年から今年にかけて広がった「タイガーマスク現象」をきっかけに、地域で助け合う福祉の充実について考えようと、千曲市内の有志が企画した「地域フォーラム」が21日、同市埴生公民館で開かれた。

ボランティアに取り組む市民ら約90人が意見交換。東日本大震災を受け、「住民同士のつながりが災害時に生きる」との意見も相次いだ。
実行委員長の松丸道男さん(58)は冒頭、全国の児童養護施設への寄付が相次いだタイガーマスク現象を「一過性の動きに終わらせず日常の助け合いにつなげていこう」とあいさつした。

県内の生協組合員でつくる「コープながの くらしの助け合いの会」代表の大塚和枝さん(63)=佐久市=が基調報告。有償ボランティアで家事援助している会の活動を紹介し、「個人主義の中でつながりが失われているが、困っている人を助けられる人間関係をつくっていきたい」と強調した。

続いて、千曲市内の福祉関係者ら4人が意見発表。市精神障害者家族会の小滝広会長(74)は「家族の精神障害について語るのは、当人をおとしめるように思えて抵抗がある。語られないために実態が伝わらないと、施策の充実につながらない。矛盾がある」と説明した。参加者が6グループに分かれての意見交換では「助け合いには個人情報の開示が必要」「困っている人が声を上げられる地域づくりが大事」などの意見が出た。

■2011.3.22  消失戸籍の復元可能=江田法相
江田五月法相は22日午前の記者会見で、東日本大震災の津波被害で宮城県南三陸町が管理していた戸籍データが消失したことについて、「仙台法務局気仙沼支局に更新前の資料やその後の届け出書が残っており、再生は可能」と述べ、関連資料を基に復元できるとの見通しを示した。

■2011.3.23  人間の幸せ求め続け、チョーク製造最大手の日本理化学工業/川崎
「人間の幸せって何だと思いますか?」。穏やかな笑みを浮かべながら、大山泰弘会長(78)は唐突に切り出した。「僕は、世や人の役に立つことが、最高の幸せだと思うんです。もっとも、教えてくれたのは彼らですが…」。ほほ笑む視線の先では、知的障害者の社員が普段と変わらぬ様子で、黙々とチョーク作りに汗を流していた。

障害者雇用を始めたのは1960年。近所の養護学校の教諭が「子どもたちを働かせてほしい」と訪ねてきた。「卒業後は施設に入り一生働くことを知らずに過ごす」との言葉に断れず、2人を実習生として受け入れた。「2週間の実習で終了するつもりだったんですが、社員たちに『面倒を見てやってください』と頭を下げられて…」。押し切られるような形で、雇用に踏み切った。

当初は材料の表示も読めず、時間を計るのも難しかったが、重りを色で識別させたり、砂時計を使わせたりと工夫すると、徐々に仕事を覚えた。2人は毎日楽しそうに出勤し、終了時刻を過ぎても作業を続けた。

疑問だった。なぜ、こんなに一生懸命なのか。「働いているより、施設にいる方が幸せだろうと思っていた」。だからある日、知り合いの住職に言われた一言は衝撃だった。「人に必要とされ、褒められ、人の役に立ち、愛されることは人間の究極の幸せなんですよ。それを彼らは実感できているのでしょう」。ハッとした。「企業には人を幸せにする力があると分かった。そのときから頑張ってみようと思ったんです」

重度を含む知的障害者を次々と受け入れ、現在は全社員の7割を超える55人が働く。近年は、環境に優しい商品も開発。2006年に商品化した筆記具「キットパス」は、ガラスや窓などつるつるした面なら消せる上に、口紅と同様の材料を使い口に入れても安全なことから人気を呼ぶ。チョーク製造最大手として成長を続ける中、1960年に入社した女性社員もまた、66歳の現役として元気に働いている。

「障害者が働き、人の役に立つ商品を作る。給料を得て自立した生活を送ることで、その地域も活性化する」。障害者雇用から半世紀。固い信念に揺るぎない自信が加わった。「環境問題に取り組むのもいいが、今生きている人のために頑張る企業を、国民も一緒になって応援する社会でないといけない」。会社案内には、自らの志を示すようにこうつづられていた。21世紀は人間としてのやさしさを、人や地球に向ける時代が求められている―。

◆日本理化学工業 チョーク製造会社。本社は登記上は東京都大田区だが、事実上は川崎市高津区。北海道美唄市にも工場を持つ。1937年に設立。知的障害者雇用をスタートさせた60年以降、重度を含む障害者を積極的に雇用し、これまでに内閣総理大臣賞など数々の賞を受賞。現在は、全社員74人のうち55人が知的障害者。

■2011.3.24  視覚障害者降灰で歩行困難都城など路面の感触つえでつかめず
新燃岳に近い都城市などで、路面に残った火山灰が視覚障害者の歩行を妨げている。つえや路上の感触などを頼りに歩くため、うっすら積もっているだけでも、慣れた路面の感触が異なり、どこを歩いているか判断が難しくなるという。

「白杖(はくじょう)で道をたたいた時の音が全然違うんです」。都城市高尾で、しん灸治療院を営む全盲の八木敏男さん(57)は訴える。
健常者の妻、真智子さん(57)と2人暮らし。買い物などは真智子さんの運転する車を利用するが、仕事後の日課にしている愛犬コロとの散歩などは1人で出かけることが多い。1月26日の噴火以来、降灰で歩きづらくなっているという散歩コースを一緒に歩いた。

つえを器用に使いながら、八木さんは目が不自由とは思えないほどの速さで歩き始めた。コースは自宅周辺の約400メートル。住宅街を縫うように進むと、路面がわずかに上り坂になっていることを教えてくれた。
視覚障害者は歩き慣れた道の微妙な勾配や感触を記憶し、頼りにしている人が多いという。踏みしめた感触や傾斜などを敏感に察知するが、灰が積もっていると、勾配などが分かりづらくなり、歩道と車道の判別も難しくなるという。

車の行き来が比較的多い道に出ると、道路脇に1、2ミリ程度の灰がうっすらと残っていた。アスファルトの路面をつえでたたくと「コツン」と響くが、灰をかぶっていると音が鈍くなる。路面の音が聞きづらくなると、場所の確認ができず不安になるという。自宅から市街地まで往復10キロ以上を1人で歩くほど散歩好きという八木さんは、噴火が活発化して以来、遠出を控えている。「降灰は以前ほどひどくはないが、路面にわずかでも灰が残っていると不安がよぎる。早く安心して歩きたい」と終息を待つ。

都城市点字図書館によると、障害者手帳を持つ市内の視覚障害者は約600人。又木勝人館長は「目が不自由な人は、災害になると移動と情報入手が困難になる。周りの手厚い支援が必要」と指摘している。

■2011.3.24  東日本大地震:いわき市の知的障害者ら受け入れ、NPO法人「よろずやたきの会」/平塚
東日本大地震による福島第一原発事故を受けて、平塚市徳延のNPO法人「よろずやたきの会」(長谷山直行代表理事)は24日夕、福島県いわき市の社会福祉法人「いわき福音協会」の知的障害者ら34人を受け入れた。

避難者受け入れの窓口となる「日本グループホーム学会」の呼び掛けに、障害者支援を行う同NPOが応じた。 被災者は長い避難生活と移動で疲労していることが予想されるため、セレモニーなどは行わず静かな環境づくりを優先した。よろずやたきの会は応援物資を施設に届ける市民の協力もお願いしていくという。

■2011.3.24  障害者の就労移行支援事業所「働き教育センター彦根」 関西福祉学園がブリヂストン彦根工場に開設
障害者が安心して働き続けることができるようにする施設(就労移行支援事業所)働き教育センター彦根が、ブリヂストン彦根工場(高宮町)内に完成。21日に開所式と見学会が開かれた。企業内に就労移行支援事業所ができるのは全国で初めて。

障害者の就労に関しては、就職してもいじめを受けるなどで仕事をすぐに辞めてしまうことが問題となっている。
ブリヂストン彦根工場では10年以上前から交流を続けている甲良養護学校と昨年度、障害者の就職支援などを進めるためのプロジェクト会議を発足。障害者に企業での対応力や社員とのコミュニケーション能力を身につけてもらうための教育施設の設置を進めていた。

設置・運営主体は平成19年に大津市内に「本部」となる働き教育センターを設立した関西福祉学園(京都市)。教育(甲良養)、企業(ブリヂストン)、福祉(関西福祉学園)が三位一体となり、障害者雇用の安定化を目指す。同学園では今後、県内各地の企業にも、彦根のような「支所」施設を設ける。辻勝司理事長は「障害者の離職率は8〜9割。社会と障害者の間にはサポートが必要だ」と話す。

障害者は、大津でコミュニケーション能力を、彦根などで実践を学び、専門学校の修了資格も取得。定員は年間10人だが、新年度、彦根では、すでに大津でコミュニケーションを学び、ブリヂストンへの就職を希望する4、5人でスタートする。施設には介護福祉士、社会福祉士などの資格をもった3人が常駐し、障害者のケアにあたる。
ブリヂストン彦根工場の橋本誠工場長は「甲良養護学校との交流で思いやりの大切さを学んだ。思いやりの基本は弱者の気持ちがわかること。ものづくりの現場は危険だが、皆さんの支援をいただきながら、協力していきたい」と話している。

彦根工場内に「働き教育センター彦根」を開設
http://www.bridgestone.co.jp/corporate/news/2011032401.html
福祉しがどっとnet
http://www.hukusi-shiga.net/study/3/index.htm
学校法人 関西福祉学園 施設事業部 働き教育センター
http://www.fukushi21.ac.jp/info/hataraki.html

■2011.3.25  「あとの郷」虐待訴訟:元施設長と法人に賠償命令−−地裁 /広島
安芸区の知的障害者更生施設「あとの郷」で03年、入所者の林英輔さん(当時34歳、09年死亡)が男性施設長(当時)に虐待されて負傷したとして、元施設長、施設を運営する社会福祉法人「無漏福祉会」、注意義務のある広島市を相手取り、計1100万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が24日、広島地裁であった。

金村敏彦裁判長は虐待の事実を認め、元施設長と法人が計220万円を林さんの両親へ支払うよう命じた。市の過失は認めなかった。
元施設長は傷害罪で略式起訴され、06年8月に罰金刑が確定したが、民事訴訟では暴行を否定していた。

判決などによると、難聴や重度の自閉症で意思疎通を図ることが困難だった林さんは02年8月に入所。直後に元施設長から暴行を受け始め、03年3〜4月、「このくそぼけがあ」などと怒鳴られながら顔や後頭部を殴られ、顔を壁に打ちつけられた。林さんは顔にあざができたが、元施設長は放置するよう職員に指示。病院で診察を受けさせなかった。精神的に不安定になり、隔離病棟での治療を余儀なくされた林さんは09年2月に死亡した。

金村裁判長は、元施設長による日常的な虐待を認め、「元施設長の暴行は職務遂行に関する行為といえる」として法人の賠償責任も認めた。市の責任については「虐待を認識し得たとまではいえない」として訴えを退けた。

判決後、林さんの両親や支援者が広島弁護士会館で集会を開き、父博文さん(75)と母妙子さん(69)は「判決は不服。市は虐待があったことを知りながら『知らない』とうそをついた」と不満を語った。同市は03年5〜6月、両親からの訴えで施設を立ち入り調査したが、「重大な人権侵害は確認できない」などとする報告書をまとめていた。

無漏福祉会は「担当者がいないのでコメントできない」。広島市障害自立支援課は「市の主張は認められたが、今後も虐待防止の指導強化に努めたい」としている。

■2011.3.25  30`圏外でも維持困難 福島第一原発周辺の介護施設
福島第一原子力発電所の事故では、「屋内退避」の半径30キロ圏外にも大きな影響が出ている。介護施設でも、風評被害による物資や人手不足でケアの継続が困難になり、21日にはいわき市の老健が施設全体で千葉県に集団避難した。

グループホームの中には、職員が避難して、入居者だけが取り残されるケースも発生している。運営を継続しているホームでも残された職員の負担は重く、現地では入居者の受け入れ先だけでなく、介護を担う人材の派遣を強く訴えている。

福島県いわき市の介護老人保健施設「小名浜ときわ苑」(鯨岡栄一郎施設長)は21日、入所者約120人と職員やその家族など合わせて約190人が千葉県鴨川市の「かんぽの宿鴨川」に集団で避難した。地震以降、断水でトイレなどが使えない上、天井が一部落下するなど施設も損壊。食事も1日2食しか提供できない状況が続いていたところに、福島第一原発事故で状況は更に悪化した。

同苑は、福島第一原発から約50キロ。「屋内退避」の圏外だが、風評被害で食料やガソリンなどが一段と届きにくくなったほか、自主的に市外へ避難する職員も出てきてケアの継続が困難になっていた。

■2011.3.25  障害者や外国人受け入れ 福祉施設 岩手県田野畑
田野畑村のNPO法人ハックの家(竹下美恵子理事長)が運営する同村菅窪の福祉施設「ハックの家」で、被災した障害者や中国人従業員が避難し、共同生活を送っている。

通所型福祉作業所の同施設には、住居を流されるなどした約20人が身を寄せる。水産加工場で働く中国人、障害者やその家族なども寝泊まりする。物資は満足とは言えず、野菜や雑炊などで食いつないできた。しかし、施設の中は明るさで満ちている。

中国・吉林省出身の李虹(リコウ)さん(20)は「みんなといて楽しい。職員の人にお世話になり元気」と笑顔。23日は矢巾町のいわて食品(久慈レイ子会長)から食料品などが届けられ、避難者を喜ばせた。

障害者や外国人は団体生活の面から、一般の避難所に身を寄せづらいのが現実。避難生活も長引き、竹下理事長は「精神不安定が一番の心配」と話す。

身体に障害があり、津波で家が流失した同村羅賀の田子内トシヨさん(80)は「何十年と住んだ家がなくなるとは思わなかった。病後の支えだった趣味の短歌と庭いじりも奪われた」とうなだれる。それでも、竹下理事長の孫の高校合格祝いを避難者全員でするなど、一体感は強まっている。田子内さんは「食事もにぎやか。生きている幸せを感じる」としみじみ語る。

■2011.3.25  被災した障害者支援に基金2億円を全額投入 大阪のNPO NPO法人ゆめ風基金
阪神大震災を機にできた障害者支援のNPO法人「ゆめ風基金」(大阪市)が、16年かけて積み立てた基金約2億円の全額を、東日本大震災で被災した障害者の支援に投入する。
「こんな日のためにためてきた。救える命をいま救いたい」という。

「訪問介護の利用者が津波に巻き込まれ行方不明です」 「お金が底をついた。早急に援助してほしい」
ゆめ風基金のブログには、被災地の団体からの悲痛な訴えが並ぶ。障害者の状況はなかなか伝わってこない。

そこで、安否確認や支援態勢づくりに役立てようと、被災地の約20団体からメールなどで得た情報を掲載したところ、アクセスが殺到。事務所では「支援したい」という電話が鳴りっぱなしだ。 基金の設立は1995年6月。阪神大震災のとき、障害者の中に逃げ遅れや避難所で体調を崩した人が相次いだことから、障害者や支援者らが立ち上げた。永六輔さんや小室等さんら著名人にも協力を呼びかけ、約1万人の会員が集まった。

基金の元手は寄付金で、新潟中越沖地震やハイチ地震など、これまでに総額約4千万円を国内外の障害者支援に役立ててきた。 今回も素早く動いた。理事の八幡隆司さん(53)は、各地の障害者団体でつくる障害者救援本部を代表し、18日から20日にかけて福島県郡山市と仙台市で障害者の避難状況を確認。現地の団体から現状を聴き取ったところ、ガソリン不足でヘルパーが介護に向かえなかったり、筋萎縮性側索硬化症(ALS)患者のたんを吸引するチューブが不足したりしているという。

知的障害者の中には、生活サイクルの急変で精神的に不安定になり、家族の負担も深刻化しているという報告もあった。対応が急務だとして、郡山、仙台の両市に障害者支援のための拠点を作ることを決め、21日に帰阪した。 被害が深刻な地域では、連絡すら取れない団体もある。事務局長の橘高千秋さん(59)は「助けを求められず孤立している障害者はたくさんいるはず。助かった命をなくしたくない」と支援を呼びかけている。

NPO法人ゆめ風基金
ゆめ風基金のブログ 救援金の送り先は「ゆめ風基金」(郵便振替口座00980・7・40043)へ。

■2011.3.26  避難所が臨時「特養」化…石巻
東日本巨大地震の被災地・宮城県石巻市では、避難所になった市の文化施設「遊楽館ゆうがくかん」が、臨時の“特別養護老人ホーム”と化している。ここで暮らす約120人の大半が、認知症や寝たきりなどの高齢者。市立病院の看護師らが懸命に介護にあたる。医師は「身寄りを見つけたいと思っても、自分の住所を言えない人もいて、身元確認もおぼつかない」と話している。

バスケットボールのコート2面分の広さがある「遊楽館」の体育館には、布団に横たわった高齢者が並び、看護師とボランティアがおむつ交換などに追われる。寝たきりの人も多く、食事を自分で受け取りに行ける人は半数程度だ。

同市によると、津波に襲われた後、多くの要介護高齢者が市内の石巻赤十字病院に搬送されたが、治療の後は遊楽館に移された。自宅や施設が壊れ、行く当てもない人がほとんどだ。

当初は、遊楽館の職員が慣れぬ手つきでおむつ交換や食事介助などを行っていたものの、市立病院の看護師十数人やボランティアが駆けつけ、急場はしのげるようになった。昼間は市立病院の赤井健次郎医師(52)らが診察も行っている。
高齢者の半数以上には、高血圧や糖尿病など日々の投薬が必要。人工透析の人も9人いて、市職員が車で病院に送迎する。認知症や精神障害の人も、少なくとも20人はいるという。

看護師が5、6人ずつ交代で泊まり込んでいるが、認知症の人は夜間に外へ出て行こうとしたり、床で排せつしようとしたりするため、仮眠も取れない。ボランティアも増えているが、まだ介護の手は不十分。赤井医師は「このままでは認知症の悪化や筋力低下、感染症などを招きかねない」と懸念している。

■2011.3.26  震災孤児把握へ実態調査 全国の専門家被災地へ
東日本大震災で親が亡くなったり、行方不明になったりした子どもの本格的な実態調査が26日、岩手県で始まった。国が主導して全国の児童福祉司ら専門家を集め、避難所ごとに確認を進める異例の調査。宮城、福島両県も受け入れに向けて準備を進めており、近く応援派遣を要請する。早期に人数や現状を把握し、心のケアなど具体的な支援を急ぐ。

兵庫県によると、1995年1月の阪神大震災で身寄りをなくした子どもは68人。犠牲者の規模から想定すれば、今回これを上回ると懸念される。津波で大きな被害を受け、混乱が続く沿岸部の自治体では自力での調査にまで手が回らないのが実情で、実態の把握が急務となっている。

岩手県では北海道、青森、秋田、東京の4道都県と横浜市の児童福祉司や児童心理司、保育士ら17人が現地入り。26日に現地の児童相談所職員らと合流し、津波被害が深刻な釜石、大船渡、陸前高田の3市と大槌町で調査を始めた。

県内の避難所は約400カ所。3月中に3人一組で巡回し、保護者がいない子ども本人や関係者から状況を聞き取る。行き場のない子どもがいれば児童相談所の一時保護所や里親が引き取るほか、児童心理司や子ども専門の精神科医らが心のケアにあたる。
宮城、福島両県も児童相談所などを中心に調査を開始。岩手県は身寄りのない子どもが多数に上る事態となれば公立の全寮制学校創設を国に求めることも検討している。

厚生労働省は、自治体の枠を超えて早急な支援態勢を構築するため、被災していない全国の自治体に専門家の応援派遣を要請。これまでに56の自治体から約400人の応募があった。被災地側の求める人数や時期に合わせて順次派遣する。

■2011.3.26  <東日本大震災>高齢者施設の死者・不明436人
東日本大震災では、三陸沿岸の老人福祉施設が津波で大きな被害を受けた。毎日新聞の集計では宮城・岩手・福島の3県の少なくとも計18施設で入所者の避難が間に合わず、死者・行方不明者が計436人に上っている。海辺の施設は高齢者に人気があるが、立地や「災害弱者」の避難対策などが復興の中で課題となりそうだ。

岩手県では大船渡市、釜石市、山田町の計3施設で113人の死者・行方不明者が出た。現在判明している中で最も被害が大きいのは山田町の介護老人保健施設「シーサイドかろ」。2階建ての屋上まで津波にのまれ、入所者97人中53人が死亡、22人が行方不明になった。山田湾からわずか60メートルで、月に1度避難訓練をしてきたが、避難場所にも津波が押し寄せたという。

海から約900メートル離れていた大船渡市の特別養護老人ホーム「さんりくの園」では、川をさかのぼってきた津波で36人が死亡した。宮城県では気仙沼市の介護老人保健施設「リバーサイド春圃(しゅんぽ)」で入所者54人が死亡するなど、石巻市、名取市、東松島市、南三陸町などの計10施設で160人が死亡。行方不明者は10施設で130人となっている。

厚生労働省令は、指定介護老人福祉施設に防災対策の整備や訓練の実施を義務付けている。岩手県長寿社会課は、多数の被害者が出たことを踏まえ「今後、利用者の安全を確保するには、開所する場所をある程度の高台に指定することも考えなければならない」という。

一方、立地制限に慎重な意見もある。大西一嘉・神戸大大学院准教授(福祉防災学)は「海辺で高齢者施設だけを高台につくるように制限すると、地域住民との交流が少なくなり、支援が受けづらくなる。建物に隣接した避難棟をつくるなど、効果的な対策を講じるべきだ」と指摘している。

■2011.3.27  留学中事故全身機能失う 長浜・伊吹さん 情熱注いだ絵
画家を目指して米国に留学していた時に地下鉄事故に遭い、全身の機能を失った長浜市余呉町、伊吹美和さん(32)が事故前に描いた絵画約50点を集めた絵画展が、長浜文化芸術会館(大島町)で開かれている。父の伊一郎さん(66)と母の美乃里さん(62)が「元気な頃に、美和が情熱を注いだ絵を見てもらいたい」と願い、美和さんが利用する福祉施設の関係者ら約20人で企画した。人物画や静物画、自画像などが展示されている。30日まで、入場無料。

美和さんは県立長浜高時代から絵画に興味を持ち、市内の芸術大進学予備校で油絵を学んだ。同高を卒業した1997年、ニューヨーク市の美術大に進学。翌98年、現地の地下鉄のホームから線路内に転落、電車にはねられ、両手両足がまひして一時、意識不明の重体となった。その後、意識は戻ったが、今も会話はできない。
美和さんが18、19歳頃に描いた油彩やデッサン約100点は、自宅や親類宅などに今も保管されている。人物画は力強いタッチで鮮やかに、自画像は窓から上半身をのぞかせた様子などが落ち着いた色合いで、それぞれ描かれている。10点前後の個展は数回開催しているが、今回ほど本格的なものは初めてという。
伊一郎さんは「美和の絵から画家を夢見た熱意や、命の大切さを感じてもらいたい」と話している。

■2011.3.27  「ふるさとに恩返し」研修医、飛び入り診療
ふるさとの被災者に何か役立ちたい――。
東京の研修医が、出身地の宮城県気仙沼市の避難所で診療ボランティアを行った。「生まれ故郷に恩返しを」と始めた活動は、新米医師にとってかけがえのない経験となった。

被災者1800人が避難していた市総合体育館でボランティアをしたのは、東京の慈恵医大病院で1年目の研修医として働く高橋紘ひろしさん(25)。同市に住む祖母(68)の安否を確認するため、22日に現地入りした。
祖母は無事だったが、近所の人が津波に流され、町並みが変わり果てた姿となったことに胸が痛んだ。「何か自分にできることはないか」。翌日から近くの体育館の避難所の医療チームに飛び入りで参加。医師が手薄な夜間の宿直も担当した。
避難所での診療は、東京の大病院とは何もかも違った。血液検査もレントゲン撮影もできず、頼れるのは、問診や触診、聴診という医師の基本技術だけだ。夕食後、腹痛を訴え、うずくまっていた60代の男性からは、「地震から2週間近く便が出ていない」と聞き出し、腹部を触診。腹部の硬さも腸の音も問題なく、かん腸をすると、翌朝、「先生、楽になったよ」と笑顔で声をかけられた。

■2011.3.27  東日本大震災 視覚障害の被災者 基礎的な情報もなく
東日本大震災は、視覚に障害を持つ人も容赦なく襲った。健常者に比べ全盲や弱視の人は生活情報を得にくく、津波を逃れた後もより困難な生活を強いられる場合が多い。震災対応に追われる自治体は、どの避難所にどれだけの視覚障害者がいるのかといった基礎的な情報すら集められていない。宮城県東松島市の避難所で全盲の男性に会った。
市立鳴瀬第一中学校にいる金子※(たかし)さん(65)は、30代後半に緑内障を発症し7年前に失明。勤めていたデパートも退職を余儀なくされた。
地震発生時は、1人で暮らす沿岸部の自宅にいた。揺れが収まり、外に出ようと白いつえを手にした瞬間、「ゴゴゴゴ」という聞きなれない音を聞いた。「道路工事か」と思ったが、急に室内に水が流れ込み「津波だ」と気づいた。その途端、巻き込まれ、油臭い激流の中でもがいているうちに意識を失った。気が付くと、ずぶぬれのままつえだけを握りしめていた。寒さに震えながら「助けてください」と叫び続け、翌朝、自衛隊員に救出された。病院で検査すると胸の骨が4本折れていた。
コルセットをしての避難所生活。なれない場所だけに、つえだけで移動するのは難しい。トイレに行くのにも周囲の助けが必要だ。顔見知りの女性が肩を貸してくれるが「個室まで案内してもらうのはちょっと遠慮してしまう」。食事も茶わんや皿の位置を教えてもらわないと食べられない。
最も困っているのは「情報不足」という。支援物資や罹災(りさい)証明の申請手続きに関する連絡が張り出されても、金子さんには伝わらない。自宅では音声パソコンで情報が得られたが、今はラジオだけが頼みの綱だ。

地震後は一度も風呂に入っていない。自衛隊などの入浴サービスがあったとしても、介護ヘルパーなしでの入浴は難しい。金子さんは「みんな親切にしてくれるが、好意に甘え続けるわけにはいかない。行政にヘルパーを派遣してもらえると助かる」と訴える。
先のことも不安だ。仮設住宅の計画が進むが、「右も左も分からない家では、1人で生きていけない。避難所を出ろと言われたら、どうすればいいのか」とため息をついた。
被害が大きかった岩手、宮城、福島3県で身体障害者手帳を持つ視覚障害者は約1万6500人。このうち被災者や避難所で生活する人がどのぐらいいるか3県とも正確な数をまだつかんでいない。

宮城県視覚障害者福祉協会は「電気が通じない自宅にとり残され、食べるのにも困っている障害者もいるはず。行政は早期に実態把握を行うべきだ」と指摘。被災した視覚障害者の情報提供を呼び掛けている。

■2011.3.27  しまねのひと:アルゼンチンで障害児支援に取り組む、原屋文次さん /島根
◇原屋文次さん(63)
保育士、介護福祉士、ケアマネジャーの資格を持つ。松江市の病院にある保育所に勤めたり、介護の仕事をしていたが、休職してJICAシニア海外ボランティアに応募した。
アルゼンチンを初めて訪れたのは2000年7月。日系人の高齢者福祉活動をする一方で、障害児が十分な医療や指導を受けていない現実を知った。両足がぶらさがったままの少女に「プールで水遊びを」とアドバイスすると、3カ月後、足首や指が動くようになった。アドバイスは保育実践家斎藤公子氏から教えられたもの。「斎藤メソッドなら底辺の人を救える」と、実感し、02年7月に任期を終えた。
翌年7月には妻の美智子さん(59)とともにNGO「南米ひとねっとハポン」を発足。07年9月からアルゼンチンで活動を再開。受け入れ先を探したが相手にされず苦労した。09年4月から2年間はJICA草の根技術協力事業として取り組んだ。
日系人が運営するヒマワリ幼稚園では、重度障害児の手が指導で「若アユ」のように動き出した。ブエノスアイレスのスラム地区では指導が評判になり、学習会を開催。発達相談を始める障害児の母親も現れた。フォルモッサ州では障害児施設で指導し、ボランティアも育成した。
NGO活動は10年間と決めている。現地の人々が自立できるようにとの思いからだ。期限まであと約2年。その後は「国内への還元も考えていきたい」と語る。

■2011.3.27  東日本大震災:高齢者施設、死者・不明436人 3県18カ所、海辺立地で逃げ遅れ
東日本大震災では、三陸沿岸の老人福祉施設が津波で大きな被害を受けた。毎日新聞の集計では宮城・岩手・福島の3県の少なくとも計18施設で入所者の避難が間に合わず、死者・行方不明者が計436人に上っている。海辺の施設は高齢者に人気があるが、立地のあり方や「災害弱者」の避難対策などが復興施策の中で大きな課題となりそうだ。

岩手県では大船渡市、釜石市、山田町の計3施設で113人の死者・行方不明者が出た。現在判明している中で最も被害が大きいのは山田町の介護老人保健施設「シーサイドかろ」。2階建ての屋上まで津波にのまれ、入所者97人中53人が死亡、22人が行方不明になった。山田湾からわずか60メートルで、月に1度避難訓練をしてきたが、避難場所にも津波が押し寄せたという。

海から約900メートル離れていた大船渡市の特別養護老人ホーム「さんりくの園」では、川をさかのぼってきた津波で36人が死亡した。宮城県では気仙沼市の介護老人保健施設「リバーサイド春圃(しゅんぽ)」で入所者54人が死亡するなど、石巻市、名取市、東松島市、南三陸町などの計10施設で160人が死亡。行方不明者は山元町も加えた10施設で130人となっている。

厚生労働省令は、指定介護老人福祉施設に防災対策の整備や訓練の実施を義務付けている。岩手県長寿社会課は、多数の被害者が出たことを踏まえ「今後、利用者の安全を確保するには、開所する場所をある程度の高台に指定することも考えなければならない」という。

一方、立地の制限に慎重な意見もある。大西一嘉・神戸大大学院准教授(福祉防災学)は「海辺のまちで高齢者施設だけを高台につくるように制限すると、地域住民との交流が少なくなり支援が受けづらくなる。住む場所のリスクを適切に分析して正しく評価し、建物に隣接した避難棟をつくるなど、より効果的な対策を講じるべきだ」と指摘している。

■2011.3.27  東日本大震災:弱視の被災者に気遣いのエプロン 南三陸町
「目が不自由です。手助けお願いします」。
宮城県南三陸町の避難所・馬場中山生活センターで暮らす及川秋夫さん(79)は、フェルトペンでこう書いたエプロンをしている。目に障害を抱える及川さんを気遣い、町内の民宿のおかみ、三浦せい子さん(58)らが作ってくれた。
及川さんは7年ほど前、黄斑変性症と診断され、徐々に視力が低下した。今はかろうじて目の前の物の輪郭が分かる程度だ。被災時は隣家のおいに腕を引っ張られ、高台の避難所に逃げこんだ。自宅は津波に流された。
全盲の人と違い、弱視の人は目が不自由だと周囲に気付かれないことが多いという。避難所の暮らしは厳しく不便だが、及川さんは「エプロンのお陰で、みんなが手を差し伸べてくれるんです」と笑顔を見せた。

■2011.3.27  東日本大震災:「災害弱者の助けに」被災地で福祉バイオトイレ車が活躍/海老名
東日本大震災の被災地で、海老名市国分南1丁目の警備会社優成サービスの福祉バイオトイレ車が活躍している。現地で活動にあたる八木正志社長は「少しでも、災害弱者の障害者や高齢者の助けになれば」と話している。

福祉バイオトイレ車はボタン一つで、車いすを持ち上げ、水を使わずにおがくずを利用し、汚物を処理する。60度くらいで攪拌(かくはん)し、水蒸気を放出することで、においも極力抑える。

八木社長は21日、福祉バイオトイレ車2台、社員2人とともに宮城県石巻市に到着した。「現地の悲惨な状況に涙が出る。わたしたちの活動が少しでも障害者らに喜んでもらえれば」と話す。中学校などの避難所で車が待機し、1日40人程度の車いす利用者に使われている。個室で暖房も完備されているため、着替えをする女性らにも感謝されているという。

同社は2009年7月、トラックに乗せた移動トイレを改造し、車いす利用者が使える福祉バイオトイレ車を開発した。これまで、車いすマラソンや同社主催の花火大会などで活躍してきた。今回の震災を受けて、海老名市内で連携するNPO法人「やさしくなろうよ」(品田直子理事長)を通じて、石巻市で受け入れ態勢が整っていることを知り、即座に協力を決めた。

八木社長は「仮設トイレはあるが、下水が復旧していないため、過酷な状況が続いている」と話す。23日にはさらに社員ら4人がバイオトイレ車1台に乗り込み、宮城県石巻市の避難所に向かった。

■2011.3.28  フィリピン女性、白河で献身介護 「お年寄りを見捨てて去れない」
福島第1原発事故を受けて在日外国人の「日本脱出」の動きが続く中、死者12人が出た福島県白河市にある特別養護老人ホーム「小峰苑」では、4人のフィリピン人介護士候補が「お年寄りを見捨てて去れない」と働き続けている。

フィリピンの地元メディアも「介護のヒロイン」などと彼女らをたたえている。
4人はルソン島中部ヌエバビスカヤ州出身の看護師メルセデス・アキノさん(27)、同島バギオ市出身の元NGOスタッフのジュリエット・トバイさん(27)ら。一昨年から昨年にかけて日本との経済連携協定(EPA)に基づいて来日した。

アキノさんによると、故国の家族からは毎日のように「フィリピンに帰って来て」と叫ぶように電話がかかってくるが、「お年寄りがここにいる限り残る」と決めている。「おばあちゃんたちからチョコレートをもらったり、日本語の勉強用のノートをもらったりとすごく親切にしてもらっている。地震も原発も怖いけど私たちだけ帰国はできない」と話す。

フィリピンでは高齢者を敬う習慣が根強く残っており、小峰苑によると、献身的な介護ぶりは「入所者にも非常に評判がいい」という。

彼女たちはフィリピンのテレビ局ABS―CBNのニュースにもネット中継で登場し、フィリピンの視聴者にも感銘を与えた。彼女たちの悩みは日本語の勉強。日本で働き続けるには介護福祉士国家試験に合格しなければならないが「漢字がとても難しいし、今は勉強する余裕もない」。

EPAによって来日したフィリピン人介護士候補は、来年から試験を受けるが、今年2月に行われた看護師試験では、フィリピン人候補113人のうち1人しか合格できなかった。

■2011.3.28  「てんでんこ」三陸の知恵、子供たちを救う
東日本巨大地震による津波で大きな被害を受けた岩手県釜石市と大船渡市で、津波に備えた知恵や工夫が奏功し、多くの子供たちの命が救われた。釜石市では、津波から身を守る方法として三陸地方に伝わる「津波てんでんこ」が効果を発揮。大船渡市では、学校から高台へ素早く逃げられるよう、父母らの訴えで昨年秋に完成したばかりのスロープでの脱出劇があった。

◆過去の教訓◆
死者・行方不明者が1200人以上に上った釜石市では、全小中学生約2900人のうち、地震があった3月11日に早退や病欠をした5人の死亡が確認された。しかし、それ以外の児童・生徒については、ほぼ全員の無事が確認された。
市は2005年から専門家を招いて子供たちへの防災教育に力を入れており、その一つが「てんでんこ」だった。度々津波に襲われた苦い歴史から生まれた言葉で、「津波の時は親子であっても構うな。一人ひとりがてんでばらばらになっても早く高台へ行け」という意味を持つ。
学期末の短縮授業で184人の全校児童のうち約8割が下校していた市立釜石小。山側を除くほとんどの学区が津波にのまれたが、児童全員が無事だった。学校近くの住宅街で友人と遊んでいた同小6年の藤元響希(ひびき)君(12)は「家族や家が心配だったけど、無意識に高い方に走って逃げた」。その後、避難所で家族と再会できた。

「想像をはるかに超えていた。津波を甘く見ちゃいけない…」。
大船渡市三陸町綾里の津波災害史研究者、山下文男さん(87)は陸前高田市の県立高田病院に入院中に津波に遭い、首まで水に漬かりながらも奇跡的に助かった。これまで津波の恐ろしさを伝えてきた山下さんですら、その壮絶な威力を前に言葉を失った。「全世界の英知を結集して津波防災を検証してほしい」。声を振り絞るように訴えた。
「津波が来るぞー」。院内に叫び声が響く中、山下さんは「研究者として見届けたい」と4階の海側の病室でベッドに横になりながら海を見つめていた。これまでの歴史でも同市は比較的津波被害が少ない。「ここなら安全と思っていたのだが」家屋に車、そして人と全てをのみ込みながら迫る津波。映像で何度も見たインドネシアのスマトラ沖地震津波と同じだった。
ドドーン―。ごう音とともに3階に波がぶつかると、ガラスをぶち破り一気に4階に駆け上がってきた。波にのまれ2メートル近く室内の水位が上がる中、カーテンに必死でしがみつき、首だけをやっと出した。10分以上しがみついていると、またもごう音とともに波が引き、何とか助かった。
海上自衛隊のヘリコプターに救出されたのは翌12日。衰弱はしているが、けがはなく、花巻市の県立東和病院に移送された。後で聞くと患者51人のうち15人は亡くなっていた。
「こう話していると生きている実感が湧いてくる」と山下さんは目に涙をためる。「津波は怖い。本当に『津波てんでんこ』だ」
「てんでんこ」とは「てんでんばらばらに」の意味。人に構わず必死で逃げろ―と山下さんが何度も訴え全国的に広まった言葉だ。
9歳だった1933(昭和8)年、昭和三陸大津波を経験したが「今回ははるかに大きい。津波防災で検討すべき課題はたくさんある」と語る。特に、もろくも崩れた大船渡市の湾口防波堤について「海を汚染するだけで、いざというときに役に立たないことが証明された」と主張する。
同市の湾口防波堤は60年のチリ地震津波での大被害を受けて数年後に国内で初めて造られた。「津波はめったに来ないから軽視されるが、いざ来ると慌てて対応する。それではいけない。世界の研究者でじっくり津波防災の在り方を検証すべきだ」と提言する。その上で「ハード整備には限界がある。義務教育の中に盛り込むなど不断の防災教育が絶対に必要だ」とも語る。
1896(明治29)年の明治三陸大津波で祖母を失った。今回の津波で綾里の自宅は半壊。連絡は取れていないが、妻タキさん(87)は無事だった。「復興に向けて立ち上がってほしい」。最後の言葉に将来への希望を託した。

■2011.3.29  「私たちはここに残る」 外国人介護士・看護師 被災地で奮闘続く
東日本大震災の被災地では、多くの医療関係者が昼夜を違わず活動を続けている。その中には、日本との経済連携協定(EPA)に基づく看護師・介護士候補者の派遣事業で滞日中のフィリピンやインドネシアの女性たちも含まれる。「お年寄りを見捨てて去れない」「地震も津波も怖くない。みんなを助けたい」。彼女たちの献身的な姿勢には「国の誇り」(インドネシア政府)、「介護のヒロイン」(フィリピンのメディア)などと称賛の声が上がり、被災者たちも感銘している。

EPAで来日
福島第1原発事故を受けて在日外国人の「日本脱出」の動きが続く中、死者12人が出た福島県白河市にある特別養護老人ホーム「小峰苑」では、4人のフィリピン人「介護士候補」が働き続けている。ルソン島中部ヌエバビスカヤ州出身の看護師メルセデス・アキノさん(27)、ルソン島バギオ市出身の元NGOスタッフのジュリエット・トバイさん(27)らで、一昨年から昨年にかけてEPAに基づいて来日した。

故国の家族からは毎日のように「帰って来て」と叫ぶように電話がかかってくるが、アキノさんは「おばあちゃんたちからチョコレートをもらったり、日本語の勉強用のノートをもらったりとすごく親切にしてもらっている。私たちだけ帰国はできない」と話す。小峰苑によると、献身的な介護ぶりは「入所者にも非常に評判がいい」。

退避勧告拒否し支援
09年に来日したインドネシアの中ジャワ州スマラン出身の「看護師候補」リタ・ルトナニンティアスさん(35)は在日インドネシア大使館による東京への退避勧告を拒否し、大震災の発生から約1週間、勤務先の宮城県山元町(やまもとちょう)の国立病院機構宮城病院に詰めて被災者支援に当たった。

地震があった11日は休みで自宅にいたが、すぐに病院へ駆け付けた。約10メートルの巨大津波が迫ってくるのが見えて病院内は騒然となり、入院患者ら約120人を上の階へ誘導。病院の前に丘があり、津波は直撃しなかったが、すぐに数百人の避難者が押し寄せた。電気も水もなく、通信も断たれて「1週間、町は孤立状態となった」。

リタさんは病院で寝泊まりして働く一方、おにぎりと水を避難者に提供した。インドネシアにいる家族が不安がっていたため、休暇をもらい一時帰国して夫と子供2人と再会したが、4月には山元町に戻ると決めている。「病院では毎日、仕事の後、日本語を教えてもらうなど、みんな優しかった。日本が困っている今、少しでも力になりたい」と共同通信に語った。

スマトラ沖の恩返し
08年に来日し、兵庫県姫路市の姫路赤十字病院で働きながら毎日8時間以上勉強し、3度目の挑戦で今年2月に行われた日本の看護師国家試験に合格(25日発表)したインドネシア人スワルティさん(32)は合格発表後、勤務先で記者会見し、東日本大震災に触れ「できれば(被災地に)行かせてほしい」と涙ながらに話した。2004年のスマトラ沖地震では、現地で災害医療に携わったというスワルティさんは「インドネシアが被災した時も多くの日本人が手伝ってくれた。小さい力だけれど、手伝わせてほしい」と訴えた。

■2011.3.29  障害者、虐待受けた可能性3割 愛媛県調査
愛媛県は28日、障害者虐待の実態を探るため2月に初めて実施したアンケート結果(速報値)を公表した。

当事者・家族の約3割が「虐待や不適切な行為を受けた可能性がある」、支援機関の関係者も約3割が「権利侵害として対応すべき事案があった」と答えるなど、対応強化の必要性が浮かび上がった。

県障害福祉課は「虐待の定義が難しい面もあるが、支援が必要な潜在ケースは多い」とみている。有効回答数は当事者・家族が347人(回答率57・8%)、支援者が236人(60・2%)。当事者・家族は各障害者団体を通じて依頼した。

虐待を受けた可能性があるとした当事者・家族101人のうち、52人が「何度もあった」、56人が「解決していないが仕方ない、納得していない」と答えた。
虐待者(複数回答)は学校などの教員ら22人▽福祉施設・事業所の職員14人▽市民13人▽勤務先の社員10人―など。

一方、障害福祉サービス事業所や施設、病院、市町などの支援関係者が挙げた実例157件では、虐待者は親が66人、きょうだいが40人など8割以上が身内だった。

■2011.3.29  検査証明なく入所一時拒む 原発30キロ圏の70代女性
福島第1原発事故で、避難、屋内退避の指示が出ている半径30キロ圏内に住んでいた女性が、避難先の神奈川県内で70代の母親を介護施設に入所させようとした際、放射性物質の有無を調べる「スクリーニング」を受けた証明書類などがないとして、入所を一時断られていたことが29日、福島県への取材で分かった。
県は、ほかにも県外に避難した数人が、証明書がないことを理由に避難所などから受け入れを拒まれた事例を確認している。県は13日から、県内各地で被災者に対するスクリーニングを実施。27日までに延べ約9万9千人が検査を受けたが、健康への影響が懸念されるケースはないという。

同県によると、女性と母親が住んでいた楢葉町は、全域が「避難区域」「屋内退避区域」とされた半径30キロ圏内に含まれる。2人は当初避難したいわき市内で16日にスクリーニングを受けたが、その段階では証明書が発行されていなかった。

■2011.3.29  精神障害者の服薬中断、適切に対応を- 厚労省
東日本大震災の被災地の医薬品不足などのため、精神障害者が薬物治療を中断せざるを得ない状況が見込まれることを踏まえ、厚生労働省は、声掛けによる服薬状況の確認など、適切な対応を求める事務連絡を3月28日付で出した。都道府県担当課などに対し、避難所などで活動する医療関係者らに周知するよう求めている。
事務連絡では、医薬品不足のほか、かかりつけ医療機関が被災したり、通院する交通手段がなかったりなどの理由で、服薬を中断している精神疾患の患者が少なからずいるとし、「治療なしで過ごした場合、多くは数週間で症状の悪化を来す可能性がある」と指摘。その上で、▽精神疾患患者や精神疾患が疑われる人に「お薬は飲まれていますか」と声を掛けるなど、服薬状況を確認する▽受療を中断している人には、専門医療機関の受診を勧めたり、「心のケアチーム」につないだりする▽医薬品不足は自治体の担当部署に連絡する―といった対応について周知を求めている。

■2011.3.29  昨年の医療事故報告、2千件超で過去最多- 日本医療機能評価機構
日本医療機能評価機構が3月29日に公表した「医療事故情報収集等事業」の第24回報告書によると、医療事故の報告義務がある国立病院機構や自治体所管の医療機関など272施設(昨年12月31日現在)の昨年1年間の報告数は2182件で、前年(1895件)より287件多く、2004年の事業開始以降で最も多かった。後信・医療事故防止事業部長は増加の背景について、「報告がペナルティーにつながらないことなどが分かり、報告の壁が低くなっているのではないか」と話している。

2182件を事故の程度別に見ると、「死亡」8.3%、「障害残存の可能性がある(高い)」10.3%、「障害残存の可能性がある(低い)」26.8%、「障害残存の可能性なし」27.6%、「障害なし」23.8%、「不明」3.1%。

事故の概要は、「療養上の世話」(43.5%)と「治療・処置」(23.1%)が多かった。発生要因(複数回答)は、「観察を怠った」(11.5%)、「確認を怠った」(11.4%)が多く、これに「判断を誤った」(9.8%)、「患者側」(8.8%)、「教育・訓練」(7.7%)などと続いた。

関連診療科(複数回答)は、「整形外科」が11.3%で最も多く、以下は、「その他」(9.9%)、「内科」(8.8%)、「外科」(7.7%)、「消化器科」と「精神科」(共に6.5%)などの順だった。

一方、任意で参加している578施設(昨年12月31日現在)の年間報告数は521件で、過去最多だった前年(169件)から大幅に増加した。件数増について後部長は、「積極的に報告しようとする医療機関の参加が全体の数を押し上げた」とみている。

■ヒヤリ・ハット「事例情報」は2万5千件■
日本医療機能評価機構の「ヒヤリ・ハット事例収集・分析・提供事業」に参加する1015施設(昨年12月31日現在)のうち、ヒヤリ・ハットの「事例情報」を報告している558施設の昨年1年間の報告件数は2万5305件(累計)だった。

事例の概要は、「薬剤」が44.0%で最も多く、これに「療養上の世話」(18.9%)、「ドレーン・チューブ」(13.8%)などと続いた。

発生要因(複数回答)を見ると、「確認を怠った」が27.6%で最も多く、以下は「観察を怠った」(9.9%)、「勤務状況が繁忙だった」(8.5%)、「判断を誤った」(7.7%)などの順だった。

一方、全参加施設の昨年1年間の「発生件数情報」の報告件数は56万24件(累計)だった。

同機構では昨年から、ヒヤリ・ハットについて、「事例情報」と「発生件数情報」に分けて集計を行っている。

■2011.3.29  介護福祉士国試、5年ぶりに合格が半数以下- 受験者数は過去最多
厚生労働省は3月29日、第23回介護福祉士国家試験の合格発表を行った。合格率は48.3%(前回比1.9ポイント減)で、2006年以来、5年ぶりに50%を下回った。受験者数は15万4223人(前回比412人増)で、過去最多を記録した。

試験は、1月30日に筆記試験、3月6日に実技試験が行われた。
合格者は7万4432人で、男性が20.2%、女性が79.8%。受験資格別では、老人福祉施設の介護職員などが48.4%で最も多く、これに訪問介護員が21.5%、介護老人保健施設の介護職員が8.9%などと続いた。

今回の合格者が加わることで、国内の介護福祉士登録者は90万人を超える見通し。
介護福祉士国試は、07年の「社会福祉士及び介護福祉士法」改正に伴い、12年度から受験資格が厳格化される予定だったが、厚労省がこれを15年度まで延期する方針を示している。法改正では、3年以上の現場経験で受験できた実務経験者に対して、450時間分の研修も義務付けるなどの変更が加えられた。

■2011.3.29  神戸市:補助金取り消し 特養老人ホーム整備で /兵庫
神戸市は28日、長田区に建設予定の特別養護老人ホームで、法律違反などがあったとして、整備を進める高知県香南市の社会福祉法人「香南会」への補助金(約4億8500万円)の内示を取り消すと発表した。

市高齢福祉課などによると、香南会は、同区で特別養護老人ホームと介護付きケアハウスの整備を進めていたが、土壌汚染対策法や騒音規制法で義務づけられた、事前の土壌調査や重機の使用の届けを市に出さなかったうえ、工事の入札にも談合の疑いがある、としている。

香南会は「担当した設計コンサルタントが入院しており、土壌汚染対策法や騒音規制法に必要な手続きを知らなかったが、神戸市とは交渉して問題は既に解決している。談合は一切なく、市への損害賠償請求も視野に争う」と反発している。

■2011.3.29  津波 最後まで患者を守ろうとして…南三陸の看護師ら
宮城県南三陸町で唯一の病院、公立志津川病院は、入院患者の半数以上を高齢者が占めるごく普通の地方病院だった。患者の命を救おうとして3人の看護師と看護助手が波にのまれた。

志津川湾に沿って走る国道45号に面した町営病院。東棟(4階)と西棟(5階)の2棟建てで、廊下でつながっていた。津波が起きた11日は109人が入院し、その半数が自分で歩くのが難しい65歳以上の患者だった。

午後2時46分。ガガガと横揺れが起きた。
東棟4階の405号室。勤務してまだ5日目の看護助手伊藤梓さん(24)が、先輩の看護助手、菅原若子さん(52)に付いて男性患者の手足をお湯で洗っていた。 洗面器の湯がばしゃばしゃとこぼれた。伊藤さんは冷静だった。「大丈夫ですからね」。菅原さんと一緒に患者を落ち着かせ、ぬれたパジャマの着替えを手伝った。菅原さんは伊藤さんに助言した。

「患者さんが不安にならないように目を離さないでね」 それが伊藤さんと交わした最後の会話になった。

ナースコールが鳴りやまない。廊下を点滴を持った看護師が行き来する。 「もっと上へっ」 星愛子・看護部長(55)らが声を上げた。防災放送が大津波を知らせていた。東棟にいた病院スタッフや患者は5階建ての西棟へ。 しかし、エレベーターは止まっていた。歩けない患者を引き上げるのは2、3人がかり。人手が足りない。階段ではパニック状態となった患者が、手すりを持ったまま階段をふさいでいた。力尽きてしゃがみ込む患者もいた。 悲鳴に似た声が上がった。

「波だ。逃げろ」 真っ白な横一線の高波が猛烈な勢いで押し寄せるのが病室から見えた。防潮堤を越えると、車や船を押し流しながら突進し、目の前のショッピングセンターが一瞬で泥の水に沈んだ。 「もう助からない」。菅原さんがそう思ったとき、患者を連れた看護師や看護助手、通行人らが駆け上がった5階のぎりぎりで水は止まった。窓からは患者の一人がベッドのマットレスに乗って流されていくのが見えた。
第1波と第2波の間、わずかに水が引いた。男性職員がずぶぬれになりながら4階へ。ベッドごと浮き上がるなどして息のあった10人余りの患者を背負って引き上げたが、それが限界だった。

3人の看護師・看護助手がいないことがわかったのは、5階会議室で点呼した時だ。1人は伊藤さん。そしてベテラン看護師の山内由起さん(40)と後藤弘美さん(46)の2人だった。 「私の言ったことを最後まで守ったのだろうか。目を離してしまったばかりに」 菅原さんは唇をかんだ。 5階まで引き上げることができた入院患者は109人中、42人。うち7人は翌日、自衛隊のヘリコプターが救出に来る前に、低体温状態となり息を引き取った。5階で死亡確認した桜田正寿医師(54)は言う。「ただただ地獄だった。地震から津波まで30分、できることはあまりに限られていた」

「太陽のように明るい子だった」
伊藤さんの遺体は津波から1週間後、病院内で消防隊に発見された。姉の角川理奈さん(31)によると、伊藤さんは「人の役に立つ仕事をしたい」と言って仙台市での仕事を辞め、南三陸町に戻ってきたという。千葉県に住む3歳のおいをかわいがり、夏に一緒にお絵かきをする約束をしていた。「あの子の性格から、最後まで患者さんをほっとけなかったのだと思います」

山内さんの遺体は25日に遺族によって確認された。病院から約2キロ離れた海岸で見つかった。看護服姿。薬指には夫の和也さん(45)が贈った指輪がしてあった。1人目の患者を5階まで上げ、さらにまだ歩ける患者を誘導しようと引き返したことが同僚に目撃されている。高校1年と中学2年の息子2人がいる。和也さんは「太陽のように明るい女性でした」と話した。

後藤さんはいまも行方不明のままだ。2男1女の母。長女(12)の小学校の卒業式を楽しみにしていた。津波が4階に達する直前まで患者に寄り添っていた姿が目撃されている。同病院の事務職員で、2階から5階に駆け上がって助かった夫の正博さん(48)は、28日の長女の卒業式に後藤さんの写真をしのばせて出席した。休みなく病院の残務整理をする毎日だ。

■2011.3.30  <一体型施設>保育園と老人ホーム併設、世代超えた交流を 山口市に県内初
山口市朝田に29日、保育園と老人ホームを併設した施設「とものその保育園&グレースフルともの園」(社会福祉法人・同朋福祉会)が完成した。

0歳児から介護が必要な高齢者まで利用する一体型施設は県内初。4月から運営を始める。完成式で同会の河内美舟理事長は「世代を超えた交流が生まれ、利用者に人を大切にする気持ちを持ってほしい」と述べた。

同会によると、施設は鉄筋コンクリート4階建てで延べ約2600平方メートル。1階は保育園(定員60人)で3歳未満児が通う。2階以上が老人ホーム(同40人)で65歳以上の健常者や、介護が必要な高齢者らが入居する。

1階と階上に間仕切りはあるが、交流会などで園児とお年寄りが行き来する。中庭で遊ぶ子どもの姿を、入居者宅のベランダから見下ろすことができ、高齢者の心身への効果が期待されている。

美祢市で老人ホームや障害者施設を運営する同会が09年、山口市が公募した施設事業者に応募。選定され、昨年8月に着工した。事業費6億3750万円で、国と同市から計8200万円の補助金を受けた。

■2011.3.30  住之江区社協の補助金流用:市に327万円返還請求命令−−地裁判決 /大阪
大阪市住之江区住吉川社会福祉協議会が、高齢者への食事サービス事業に対する市の補助金の一部を目的外に支出していたとして、市民団体「見張り番」のメンバーが、平松邦夫市長に約1528万円を返還請求するよう求めた訴訟の判決が29日、大阪地裁であった。吉田徹裁判長は、一部の支出で目的外使用を認め、同協議会と会長に約327万円を返還請求するよう命じた。

判決によると、同協議会は、00年度に観光旅行代として約118万円を違法に支出したり、07、08年度に厨房改修費に計165万円を支出するなど、市の補助金を本来事業とは関係ない目的で使用した。

■2011.3.30  ケアホーム完成、障害者ら一人暮らし 京田辺に新設
京都府京田辺市の社会福祉法人「共生福祉会」が運営する重度障害者のケアホーム「草内ホーム」が同市草内に完成した。4月上旬から10人が入居し、常駐の介護職員らの介助を受けながら「一人暮らし」を始める。

同法人はたなべ緑の風作業所(同市興戸)を運営しており、重度障害者を含む40人が通っている。最近は介護する親の高齢化で自宅からの通所が難しくなるケースが目立っていた。親に頼らず、専門的な介助を受けながら個室で暮らせるケアホームの新設は、10年来の悲願だったという。

施設は木造平屋建て約370平方メートル。男女各5人の個室や浴室、食堂を備える。段差がなく、浴室やトイレは介助者も入れる広さがある。ショートステイもでき、専用の三つの個室を別に備える。総工費は1億2500万円。
小林豊理事長は「悲願のケアホームが地元のご理解で設立でき、とてもありがたい」と話している。

■2011.3.31  有資格者ゼロ、訪問介護の指定取り消し- 徳島
必要な資格を持った職員がいないにもかかわらず、利用者に訪問介護サービスを提供し、介護報酬119万円余りを不正に請求したなどとして、徳島県は3月30日、「有限会社あさひ」(徳島市)が運営する同名の訪問介護事業所について、介護保険法に基づく指定を取り消す行政処分を行った。

県によると、あさひは2007年8月−今年1月の間、ホームヘルパーなどの資格を持たない職員が訪問介護の通院等乗降介助サービスを提供し、介護報酬を不正に請求していた。常勤換算で2.5人以上必要なホームヘルパーの人員基準も満たしていなかった。また、サービス提供責任者も必要な資格を持っておらず、常勤でもなかったため、訪問介護計画の作成など一連の責務を果たしていなかったという。

県が今年3月に行った定期監査で発覚した。その際に5人程度いた利用者は、既に別法人の事業所からサービスを受けているという。

■2011.3.31  要介護者ら国主導と施設間で受け入れへ−東日本大震災で4万人超
東日本大震災で被災した福祉施設を利用する要介護者や障害者などの要援護者の受け入れが進んでいる。政府が介護関連施設などで4万4000人の要援護者の受け入れを順次開始する一方、施設間での大規模な受け入れも進んでいる。

■福島原発事故で退避者1500人
厚生労働省は3月29日、被災した高齢者を含む要援護者の受け入れ状況と、介護職員の派遣状況について、震災後、初めて発表した。同日午後2時現在で、被災した要援護者346人の受け入れが進んでいる。また、福島第1原子力発電所事故に伴う退避者(介護施設等入所者)に関しては、約1500人の受け入れを行った。介護職員は、全国で派遣可能な8137人のうち172人の派遣を実施した。

被災した346人の要援護者のうち、岩手県の47人は県内の施設間による受け入れ、宮城県の213人のうち92人は山形県の施設が受け入れ、残りは県内で対応している。福島県については、県内と県外での受け入れ状況が明らかになっていない。

全国老人福祉施設協議会によると、30日現在で被災地内での受け入れ状況は、仙台市を除いた宮城県が360―400人、岩手県が約150人、福島県が県外での受け入れも含めて約450人。県外での受け入れは、栃木県が177人、山形県が90人、新潟県が237人となっている。

厚労省は震災から4日後の15日に、各都道府県に受け入れ可能人数をまとめて報告するよう依頼。3日後の18日に、各都道府県の受け入れ可能数を被災県に連絡した。これを受け、被災県内および都道府県間で要介護者の受け入れが進んでいる。

■「着の身着のまま」■
同省が23日に発出した事務連絡では、都道府県間での要援護者の受け入れと職員派遣に必要な人材それぞれのマッチング方法(図参照)について明記している。それによると、被災県とほかの都道府県がそれぞれまとめた「要援護者の受け入れ」と「職員派遣」の需要と供給を厚労省が把握し、情報提供することで、マッチング自体は都道府県同士で調整する。移動手段に関しては、必要なら厚労省が救急車両や自衛隊車両の出動を要請して提供する仕組みになっている。マッチングが実現したら、この情報を厚労省に報告し、厚労省がマッチング全体の情報としてまとめて公表する。

済生会の栃木県支部の特別養護老人ホーム「とちの木荘」(宇都宮市)では、20日に市の要請(表1参照)で、福島県の特養「花ぶさ苑」(広野町)に入所する37人のうち4人(表2参照)を受け入れることを決定。幸いにも、看取りに使う静養室が空いていたことや、来年4月に施設の建て替えを予定していたことに伴って通常より職員を多く採用していたことから、スペース的にも人員的にも十分に対応できると判断した。

とちの木荘の施設長は、「着の身着のままで、よほど慌てていたようだった」と、要介護者を受け入れた当日を振り返る。福島県の要請を栃木県を通じて受けた宇都宮市保健福祉総務課では、「受け入れ日の夕方まで、具体的な要介護者のリストが分からなくて不安だったが、たまたま一施設のすべての要介護者を市で受け入れることができて、各自治体でばらばらに受け入れることにはならなかった」と話している。
中には、12日からの市の連絡を受けて職員の増員を行っていた正恵会が運営する特養「ホームタウンほそや」のように、10人の要介護者を受け入れた事例もある。
■日ごろの施設間交流が危機救う■
一方、施設間で受け入れを進めているケースもある。
介護法人保健施設「老健リハビリよこはま」(横浜市旭区)は19日、福島県南相馬市の南相馬福祉会が運営する老人福祉施設の228人を受け入れた。

老健リハビリよこはまと南相馬福祉会は以前から理事長同士の交流があったことから、17日に連絡を受け、翌日に受け入れのため現地入りした。当初は100人程度の受け入れ予定だったが、食料不足や原発事故に伴う屋内避難区域だったことから、その場で入所者全員の受け入れを決めた。
19日から21日にかけてはベッドが足りなかったため、会議室を使って臨時の休憩所を用意するなど、対応に苦慮したが、現地から職員が来ていたほか、ボランティア50人以上の協力を得てしのいだ。受け入れから3日後の22日以降は、1日50人単位で周囲の介護関連施設への受け入れや家族の引き取りなどがあったため、それ以降は落ち着いた対応ができているという。

■2011.3.31  「情」に守られ通所者無事 住民が避難手助け
東日本大震災で壊滅的な被害を受けた仙台市若林区荒浜地区に、通所者全員が無事だった授産施設がある。和菓子や和紙を製造する「まどか荒浜」。施設は津波にのみ込まれたが、地区住民にも助けられ、安全な場所に避難することができた。

社会福祉法人「円」が運営するまどか荒浜は、海岸から約1キロの場所に立つ。震災当日の11日は、軽度から中度の知的障害がある通所者44人が作業に従事し、茶菓を提供するコーナーも営業していた。

地震発生から間もなく、職員10人が送迎バス3台と自家用車で通所者を近くの七郷小に避難させた。しかし、既に避難者であふれていたため、さらに約400メートル離れた七郷中体育館まで移動しなければならなかった。

職員によると、体育館に移る際、複数の住民が通所者の車いすを押したり、おぶって運んだりするのを手伝ってくれた。停電で真っ暗な夜間は、不安がる通所者を気遣って声をかける住民もいたという。
「いたわりや助け合いの心が息づく荒浜の住民に助けられた」と施設長の中村正利さん(78)。多くの住民が地区を離れている状態が続くが、「早く住民に感謝の気持ちを伝えたい」と願う。

通所者は全員無事だったが、女性職員1人が亡くなった。通所者を誘導後、連絡先を記した張り紙をしようと施設に戻った際に津波に巻き込まれてしまった。平屋の施設も鉄骨だけを残して全壊。一部の通所者は現在、太白区の別の授産施設が受け入れているが、大半はガソリン不足で移動できず自宅待機中。施設の再建も含め、事業再開のめどは立っていない。それでも、「住民と共に荒浜で再出発したい」と中村さん。人情に厚い地元での再建策を模索している。

■2011.3.31  水道メーター製造の福祉法人/国指定事業者に
施設利用者が水道メーターの製造を行っている香川県宇多津町の鵜足津(うたづ)福祉会(小松守理事長)が、国から水道メーター製造の事業区分で指定製造事業者の指定を受けた。全国的に指定を受ける事業者は少なく、社会福祉法人が指定を受けるのは全国初。

同事業者は、一定レベルの品質管理能力があると認めた事業者に対して指定される。水道メーターやはかりなどの計量器は、国などの検定証印や同事業者の基準適合証印がないと商取引ができない規定になっている。

同会が指定を受けたのは水道メーターの第一類と第二類の2区分。指定は今月8日付。これまでは県の検定を受けて出荷してきたが、指定によって自社検定が可能となる。製造から出荷までの全工程を一括管理できるほか、国からの“お墨付き”を得たことで製品の信頼性も高まる。

同会では、施設利用者が社会の一員として活動できる事業を行おうと1996年から水道メーターの製造を開始。同会が運営する高瀬荘(三豊市高瀬町)に通う知的障害がある利用者ら約10人が、同町内の作業所で組み立てや性能確認の作業を行っている。

当初はノウハウもない中のスタートだったが、徐々に技術を習得。これまでに県内外の自治体に約26万個出荷し、現在では1日平均220個を製造、月産1万個の生産能力を持つまでになった。水道メーター製造の担当で高瀬荘の片岡光晴副施設長(51)は「今後はブランド力を浸透させ、利用者の工賃アップにつなげたい」としている。

 

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