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 2018.10.29 ねむの木学園50周年 道を開き続けた
 2018.10.29 ねむの木学園50周年 1000人が祝う


■2018.10.29  ねむの木学園50周年 道を開き続けた
日本で初めて体が不自由な子供のための養護施設として設立された「ねむの木学園」(静岡県掛川市)が今年創立50周年を迎え、28日に記念式典と運動会が開催される。「障害を持つ人のために学びの場をつくりたい」。この一心で運営の最前線に立ち続けてきた女優、宮城まり子さん(91)を訪ね、半世紀の足跡を振り返った。

少し汗ばむくらいの秋晴れの日。豊かな自然に囲まれた「ねむの木学園」では間もなく迎える本番に備え、子供たち、教職員が総出で記念式典や運動会の練習を行っていた。色とりどりのリボンが青い空に映える。「きれいでしょ。万国旗じゃなくてリボンにしたの」と、宮城さん。

子供たちの衣装や、式典・運動会の内容、演出の全てを宮城さんがプロデュースしているという。予行演習中は音響、立ち位置、出入場のタイミングまで細かく指示を飛ばしていた。年齢を感じさせないパワフルさだ。

ゼロからの出発

人気女優だった宮城さん。昭和30年に歌謡曲「ガード下の靴みがき」が大ヒット、舞台やテレビにもひっぱりだこだった。そんな中、脳性まひの子供を演じたことが契機となり、障害を持つ人への思いを深めていく。

昭和30年代は、障害を持つ人が学べるような福祉の制度がほとんど整備されていなかった時代だ。宮城さんは土地や教職員探し、資金調達や役所への届け出などに奔走し、昭和43年、ついに浜岡町(現・御前崎市)で開園にこぎ着ける。「正直、こんなに大変だとは思わなかった。何度厚生省(現・厚生労働省)に通ったことか」と笑いながら振り返る。

「ここ(現在学園のある掛川市)に移ったとき(平成9年)も、何もなかったのよ。電気もなかったし、バスも通ってなかった」。学園は一からではなく、ゼロから生み出したものだった。

子供の才能見つけ

今「ねむの木学園」では4歳から78歳まで、74人が暮らしながら、学びを続けている。大人でもここでは皆、宮城さんの「子供たち」。宮城さんは「母ちゃん」と呼ばれる。
運動会の練習の合間にも小さな子供たちが何度も「母ちゃん、母ちゃん」と駆け寄ってきた。真剣なまなざしで練習を見ていたのとは一転、目を細め柔らかな表情に変わる。惜しみなく、だっこやキスで愛を表現するのは、まさに母親そのものだった。

記念式典や運動会では、子供たちの日頃の学びの成果やそれぞれの才能を発揮できるよう、工夫が凝らされている。学園で力を入れている「お点前」や歌も披露され、教職員、子供たちが一体となってバトンをつなぐ「和太鼓リレー」も見どころ。

学園の子供たちの描く絵は特に有名だが、運動会では子供たちの懸命な表情も見ることができる。「本番はもっとすごいから。楽しみにしていて」

子供たちのさまざまな才能を引き出す秘訣(ひけつ)を「集中力よ。出来上がるまでやること」と話す宮城さん。愛情と意志の強さで子供たちに寄り添い続けてきた50年。運動場には子供たちの歌声が響く。「やさしくね やさしくね やさしいことはつよいのよ」

■2018.10.29  ねむの木学園50周年 1000人が祝う
今年創立50周年を迎えた肢体不自由者養護施設「ねむの木学園」(宮城まり子園長)は28日、記念式典と第50回ねむの木学園運動会を掛川市上垂木の同学園グラウンドで開いた。全国各地から千人以上の支援者らが訪れ、節目を祝った。

式典では、学園を利用する子どもたちや職員約150人がピンク色の旗を持って勢いよく登場した。宮城園長の指揮で「鳥になった瞳」を歌い上げ、来場者を歓迎した。
黒の着物姿に身を包んだ宮城園長はグラウンドの芝生に座って深々と頭を下げた後、「50年たつなんて夢にも思わなかった。何もわからない私が、子どもたちを幸せにしたい一心からねむの木学園を始めた。ねむの木学園、子どもたちをよろしくお願いします」とあいさつした。出席した川勝平太知事や松井三郎掛川市長らが祝辞を述べた。

運動会では、子どもらが障害物競走をしたり、和太鼓の音に合わせてリレーをしたりして盛り上げた。昼食時には宮城園長が味付けしたおかずや赤飯が竹筒に入った「かぐや姫弁当」が来場者に振る舞われた。

 

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