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残しておきたい福祉ニュース

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 2017. 8. 7 【相模原殺傷事件】 犠牲者の匿名で安否わからず 障害者を同等に見ないうわべの優しさが事件うむ
 2017. 8. 8 娘のために遊園地を建てた米男性 総工費56億円
 2017. 8.21 水陸両用の車いす、ビーチでも楽しめます 神戸の須磨海岸
 2017. 8.21 「プロフェッショナル 仕事の流儀」出演の義肢装具士・臼井二美男が語る ぼくが義足を作る理由
 2017. 8.23 <難病>母が一念発起「超重症児」の入浴法研究 学会で発表


■2017.8.7  【相模原殺傷事件】 犠牲者の匿名で安否わからず 障害者を同等に見ないうわべの優しさが事件うむ
「突然ふっと、ね」。知的障害がある小西勉さんは自宅に近い横浜市内の駅のホームで、向かってくる電車の方に吸い込まれるように進むときがある。「ここ2、3年、何回も。今だってあります」。途中で「ああ」と思い、足が止まる。相模原殺傷事件の植松聖(さとし)被告(27)は「障害者は不幸しかつくらない」と主張。ネット上には賛同する書き込みもあった。小西さんは「悲しいけど、周りにもそういう人はいるし」とポツリ。“自殺”しそうになる理由を一つには絞れないが、社会の空気は大きな要因だという。

発生から1年がたった相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」殺傷事件で、警察は殺害された19〜70歳の入所者19人の氏名を公表していない。「遺族の希望」が理由だ。


■無事かが不明
小西さんは、事件現場となった施設に何度も足を運び、献花した。友人が入所していたという仲間は「名前が出ないから、無事かどうか分からない」と嘆いた。「自分なら公表してほしい」。そう語り合った。

昨年9月、横浜市で開かれた知的障害の当事者団体「ピープルファースト」の全国大会。小西さんは実行委員長を務めた。参加者からは「自分で決めるという当たり前のことを奪われてきた」「『特別支援学級に行け』『施設に行け』と、親や行政に人生を決められる」といった声が出た。

皆でまとめたメッセージには、こんな文言が。「なぜ仲間が施設に集められているのですか。みんな、私たちの気持ちを、夢をちゃんと知ってくれていますか。私たちにつながる人たちのうわべのやさしさが(事件の)犯人に間違いを起こさせたのではないですか」


■自分で決めたい

小西さんは今年3月、京都市で開かれたシンポジウムでも訴えた。「自分の生きる価値も、幸せも、不幸せも、自分にしか決められない」

事件の後、街頭でビラ配りを続けている脊髄性筋萎縮症の石地かおるさんは最近、駅や公共施設の看板などに、あるフレーズが増えたと感じている。「障害者に思いやりと優しさを」。目にするたび、心がざわつくという。

レストランに入ったとき、店員が自分の方を見ることなく介助者に注文を聞く。電車に乗るとき、駅員は自分ではなく介助者に行き先を聞く。まるでその場にいないかのように扱われる。「同等に見ないままの『優しさ』では何も変わらない」


■ずっと分けられ
地元の小学校の中にある障害者だけのクラスに通った。普通学級に友だちも多く、何度も「みんなといたい」と訴えたが駄目だった。理由を説明された記憶はない。

中学からは親の意向で障害者だけの学校へ。ずっと分けられ、互いに出合わないまま生きている。それが「障害者が見えていない」ことにつながっていると考えている。

「優しさ」という、人間にとって大切な気持ちすら、通い合わない。その状況は、障害者運動が本格化し始めた1970年ごろと変わっていないのではないか。石地さんはそう感じているという。



■相模原殺傷事件
平成28年7月26日未明、相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者19人が刃物で刺され死亡、職員2人を含む26人が負傷した。県警に逮捕された元施設職員、植松聖被告は「意思疎通できない人たちを刺した」と供述。横浜地検は5カ月間の鑑定留置を経て、刑事責任能力が問えるとして今年2月、殺人や殺人未遂など6つの罪で起訴した。最大の争点は責任能力の有無や程度となる見込みで、公判の長期化は不可避との見方が出ている。

■2017.8.8  娘のために遊園地を建てた米男性 総工費56億円
米南部テキサス州に住むゴードン・ハートマンさんはある時、障害のある娘が遊べるような遊園地がないことに気が付いた。そこでハートマンさんは自分で建てることにした。

家族旅行に出かけたハートマンさんたちがプールを使っていた時のことだ。ハートマンさんがプールから上がって間もなく、当時12歳だったモーガンさんがプールで遊ぶ子供たちと仲良くなろうと近づいた。だが、子供たちはすぐ水から上がってしまった。
子供たちは障害のある人とどう接したらよいか分からず、尻込みしたのだろうとハートマンさんは考えている。モーガンさんの認知理解力は5歳程度で自閉症の症状もある。

ハートマンさんはプールでの一件を忘れることができなかった。

「モーガンはともかくすごく素晴らしい女の子です。いつも微笑んでくれるし、いつもハグしようとしてくれる。けれども、彼女を色々と連れていけないことが多すぎた」

ハートマンさんと妻のマギーさんはモーガンさんをどこに連れて行かれるか、ほかの親たちにも聞いてみた。モーガンさんにとって居心地良くて、周りの人も気まずい思いをせずにモーガンと触れ合える場所はないのか。
「そんな風に受け入れてくれる場所などないと、気が付いたんです」とハートマンは話す。

そこでハートマンさんは2007年、自分で遊園地を造ることにした。もともと不動産開発業のハートマンさんは、2005年に所有していた複数の住宅建設会社を売り、障害者支援の非営利団体「ゴードン・ハートマン家族財団」を設立していた。ハートマンさんは「世界初のものすごく寛容なテーマパーク」の建設に着手した。

「すべての人が何でもできる場所、障害があろうがなかろうが遊べるテーマパークが欲しかったんです」とハートマンさんは話す。
ハートマンさんは医師やセラピスト、保護者、障害のある人にもない人にも声をかけ、どんな遊戯施設が良いか相談にのってもらった。その結果、テキサス州サンアントニオの採石場跡に25エーカーの広さを持つテーマパークが誕生した。

総工費3400万ドル(約37億円)をかけたテーマパーク「モーガンズ・ワンダーランド」は2010年に開園した。敷地内には障害がある人もない人も利用できることに配慮する「アクセシブルデザイン」を基に設計された観覧車や「冒険遊び場」、ミニ電車などがある。
来園者の多くが、いままで乗れなかったアトラクションに初めて乗れたと、ハートマンさんに報告するのだそうだ。

園内の回転木馬には、車いすが木馬と一緒に上下する特別な設計が施されている。
だがハートマンさんは、モルガンさんが最初は乗り物を怖がったと打ち明ける。「開園した時、彼女は怖がって乗らなかったんです。なぜ回転するのか、動物たちがなぜ上下するのか理解できなかった」。
モーガンさんが回転木馬に乗るまでに3年かかったという。

「最初、彼女は近くで立っていました。それから動物にまたがるのだけれど、私たちは乗り物を動かさずにいました。時間がかかりましたが、今は乗るのが大好きです。恐怖を乗り越えたのは、彼女にとってとても大事なことでした。遊びの中で得られる小さな達成感は、大きな違いを生みます」

モーガンズ・ワンダーランドには開園以来、全米50州のほか世界67カ国から100万人以上の人が訪れた。スタッフの三割に障害があり、障害者は入場無料だ。
「モーガンは必要な物はだいたい手に入るので、幸運な部類に入ると気づきました。ほかの障害を持つ人たちにとって、費用が妨げになるようなことはしなくなかった」とハートマンさんは語る。

「毎年、開園すれば100万ドル以上の損失が出ると分かっているので、献金やスポンサーで埋め合わせなくてはいけません」
今年は新たにバリアフリーのウォーターパーク「モーガンズ・インスピレーション・アイランド」も同時に開園した。
「7月は車いすの温度が熱くなり過ぎるので利用客は少なかったんです。それで隣りにウォーターパークを造ることにしました」
園内の一部では温水が使われ、筋肉関係の障害がある人でも利用できるようになっている。電気ではなく空気圧が動力の防水の自動車いすが準備されている。ボートで水流を楽しむバリアフリーの乗り物もある。

建設費や設備費は合計1700万ドルに上った。
「きのう、インスピレーション・アイランドである男性に手を握られた」とハートマンさんは話す。「重い障害のある彼の息子の方を指差して泣き出したんです。水遊びは今までできなかったそうです」。

ハートマンさんによると、利用客の4分の3は障害がない人で、テーマパークは意図した通りの効果を訪問者に与えているという。
「(障害者と健常者に)多少の違いはあっても、実際は同じだと人々は気が付く」。ハートマンさんはこう語る。
「車いすに乗った女の子が障害のない女の子に近づいて、一緒に遊び始めたのを見ました。とてもいいなと思った」

ハートマンさんの元には、自分たちの地域にも同じようなテーマパークを造ってほしいという何百もの手紙や電子メールが届いているが、さらに建設する計画はない。だが10代の障害者の教育施設をサンアントニオに建設することに注力している。
ハートマンさんは、「別の場所でモーガンズ・ワンダーランドに似た施設を造ろうとしている団体がたくさんあるので、協力は続ける」とも話す。

今もハートマンさんはモーガンさんを連れてテーマパークを訪れるが、モーガンさんはちょっとした有名人だ。
「ここにくると彼女はロック歌手並みの扱いです!  たくさんの人がモーガンと話をしようとやってくるし写真も撮る。彼女はうまく対応していますよ」
23歳になったモーガンさんは今でも能力を向上させている。
「今はもっと話すようになったし、多くの手術を経て身体的な問題もほぼ治療済みです。彼女がどれだけ成長したか、とても誇らしく思っています」

モーガンさんのテーマパークでのお気に入りはブランコと砂場だという。そして当の本人は、自分がどれほどほかの人たちを助けたのか気付いていない。
「モーガンはテーマパークに自分の名前が付いていると知っていますが、それがどれほど大きなことなのか、いかに人々の人生を変えたのかは理解していないでしょう」と、ハートマンさんは話す。

「彼女が人生にどう立ち向かったのかに人々が本当に勇気付けられていると、彼女は分かっていないんです」

■2017.8.21  水陸両用の車いす、ビーチでも楽しめます 神戸の須磨海岸
神戸市須磨区の須磨海岸で19日、海水浴場のバリアフリー化を進めるグループが、水陸両用の車いす「ヒッポキャンプ」の体験イベントを開催した。車いす利用者も楽しめる機会をつくろうと企画。強い日差しが照りつける中、参加者は乗り心地を確かめ、波の揺れを体感した。

肢体不自由の中井世蓮さん(15)=奈良県河合町=は救命胴衣を着け、ヒッポキャンプごと海に入った。父親の誠さん(40)らが介助し、浅瀬で車いすから降りると、初めて波を感じた世蓮さんは声を上げて喜んだ。

誠さんは「プールが好きだったが、海に行くきっかけがなかった。いろんなことに挑戦してほしい」と娘の手を握りしめた。

ヒッポキャンプはフランス製で、足を置く部分にも大きなタイヤが付き、三輪になっている。寝そべった状態でも乗り降りが可能で、海外では災害救助でも活用されているという。

グループのメンバーは障害者やライフセーバーらで、須磨海岸を中心に活動。今夏は、車いすに乗って波打ち際まで行けるように砂浜に敷くビーチマットも導入した。

■2017.8.21  「プロフェッショナル 仕事の流儀」出演の義肢装具士・臼井二美男が語る ぼくが義足を作る理由
この夏、読書感想文コンクールの課題図書に選出され、注目を集める児童向けノンフィクション、『転んでも、大丈夫 ぼくが義足を作る理由』。著者である臼井二美男(うすいふみお)さんは、パラリンピックアスリートを、二人三脚で支えつづけてきた、日本一有名な義肢装具士です。NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」や生命保険会社のパラリンピックの支援CMなどにも出演し、テレビ、雑誌、新聞、さまざまな媒体で仕事ぶりが紹介されていますが、じつは、著書を出したのは、この本がはじめて。今回は、この本にこめられた想いをうかがいました。

―まずはじめに、「義足」とはなんですか? 

義足は、義肢装具士が作る、生活をサポートする道具の一つです。ぼくの仕事は「義肢装具士」といいますが、義肢というのは、事故や病気で、手足を切断した人がつけるもの。そのうち、手の代わりをするのが「義手」。足の代わりをするのが「義足」です。

―義足の人がスポーツをしている姿を、最近はよく見かけます。臼井さんは、スポーツ用の義足を作ることが多いんですか? 

ぼくは、一年間に200人くらいの人の義足を、作ったり、修理したりしています。その中で、スポーツ義足を使っているのは20人くらい。10人に1人という割合です。のこりの90パーセントの人の中には、子どもや、おじいちゃん、おばあちゃんもいて、その人たちが毎日の生活にこまらないように義足を作るのが、ぼくの仕事のほとんどです。

―義足でスポーツをやっている人は、そんなに少ないんですね。

まだまだ少ないです。それでも、ここ5年くらいは、少し増えてきたと思います。15年前はほとんどの人が知らなかった「パラリンピック」という言葉がだんだん広がってきて、2020年に東京でパラリンピックが開かれることになり、チャレンジしてみようという気持ちが出てきているのかな、と思います。

―臼井さんから声をかけて、スポーツをやってみるようにすすめていたそうですが、なぜ義足の人にスポーツをすすめようと思ったのですか? 

本当はスポーツじゃなくてもいいんだけど、「目標を持って何かに取り組む」ことで、心も体もたくましくなっていくんですよね。

最初はおそるおそる走ってみる。練習をはじめて3、4回目くらいになると、少しずつ「走る」という感覚がわかってくる。それと同時に、仲間ができてくるんです。義足の人は、学校でも、職場でも、だいたいひとりぼっちなんです。もちろん、友だちがいないわけではないんだけど、クラスにも、学校にも、ほかに義足をはいている人はいないんだよね。だから、相談できる人もいなくて、ひとりでなやむ時間が多い。

でも、走る練習をしにくると、「義足をはいているのは自分だけじゃない」と思える。

スポーツをはじめると、走れるようになるよろこびと、仲間ができるよろこび、その両方を味わえるんです。

―お仕事をする中で、心がくじけそうになったりしたことはありましたか? 

義足は、はく人に合わせて一本一本手づくりします。傷の様子も一人ひとり違うし、好みもさまざま。きつめがいい、という人もいれば、しめつけられるのがいやだという人もいる。足を失ったショックから立ち直れていない人で、不安な気持ちを義肢装具士にぶつける人もいるんですよね。

何回作りなおしても満足してくれなくて、あれこれ工夫して、やっぱりダメだといわれたときは、心が折れそうになるね。

―くじけそうなときは、どうやって乗りこえてきたんですか? 

とにかく最後まで逃げださないで、時間がかかっても、向かい合ってやってみる。一生懸命その人に向かい合って作りつづけていると、どこかで認めてくれるときが来るんです。

そういう人に認めてもらえたことは、少しずつ自分の自信になって、積みあがっていきます。

―臼井さんがスポーツ義足を作りはじめた当時に比べ、今はスポーツ義足を取り巻く環境がずいぶん変わってきていると思います。具体的に、どんな変化がありましたか? 

東京オリンピック・パラリンピック開催が決まってから、義足スポーツに興味を持ってくれる若い人が増えてきたことと、世の中にパラリンピックが少しずつ広まってきたことはうれしいです。

ただ、スポーツ義足は、残念ながらまだ国から支援を得られず、自分で20〜30万円全額を負担しないといけないんです。生活用の義足は、国の支援があって、一足2〜3万円で作れるんですが。これは義足だけでなくて、スポーツ用の車いすも同じ。だから、せめて小学校の体育の時間だけでも、必要な子は義足や車いすを使えるように、法律をかえてほしいなと思っています。

―今、力を入れていることはありますか? 

今は、職場の若い技術者を増やすことに力を入れています。

義足でスポーツをやりたいという人が増えてきていても、義足製作は、一つひとつが手づくりだから、1人でみんなのスポーツ義足を作ってあげることはむずかしい。義足を作る側の人、作るだけでなく、運動をはじめた人の相談に乗ってあげられるような技術者も、一緒に増えていかないとダメだと思っています。

―お仕事をしていて嬉しかったときのお話を聞かせてください。

選手と一緒にパラリンピックに行けたことかな。はじめて鈴木徹くんと行ったシドニー大会から、このあいだのリオ大会まで、パラリンピックで活躍する姿を見ることができたのは、とても嬉しかったです。

もう一つ嬉しいのは、子どもの心が前に向かっていくのがわかるとき。小学生くらいの子どもがスポーツをやるようになると、すごく明るくなるし、たくましくなるんです。男の子も女の子も、表情が変わっていく。自分が持っている障がいを、マイナスでなく、自分のチャームポイントや個性としてとらえていくようになっていくのがわかります。そういうのを見ていると、この仕事をやっていてよかったと、やりがいを感じますよね。

―この本を読んだ子どもたちに、伝えたいことはありますか。

健常者の子には、障がいを持った子どもがいるっていうことを知ってほしい。障がいを持った子も、心はみんなと同じです。本当はみんなと仲良くなりたいと思っている子がたくさんいる。でも、受けいれてもらえるか不安で、自分から周りにとけこもうとしない子もいっぱいいるんだよね。

だから、この本を読んで、障がいのある人たちも、特別な人じゃなくて、気持ちや心はみんなと同じなんだっていうことを、ちょっとでも感じてもらえると嬉しいです。

障がいを持っている子に伝えたいのは、前向きにすごしてほしいということと、スポーツでもそうでなくても、何かにチャレンジしてほしいってことかな。

パラリンピックに出るようなスポーツ選手でも、最初からかっこよく走れる人なんて、一人もいない。みんな最初は歩くところからはじめて、一生懸命練習して、少しずつ走れるようになっていったんです。だから、今歩くのもたいへんだからといって、「自分とはちがう人なんだ」とあきらめないでほしい。

今でも日本中で、自分も走ってみたいな、でも自分には無理かな、家の外に出ていくのはこわいな、となやんでいる人がたくさんいると思います。だからこの本が、「臼井さんのところに行ってみよう」って思うきっかけになって、もっといっぱい相談がきたらうれしい。

―最後に、子どもたちにメッセージはありますか。

障がいのある人が周りにいたら、話しかけてほしい。どんなふうに話しかけていいかわからない人もいると思うけど、たとえば車いすの子がいたら、車いすをさわらせてもらうとか、義足の子がいたら、「義足ってどうなっているの?」と聞いてみるとかでいいんです。「義足って痛くないの?」とかさ。それをきっかけに、その子と会話したり、できれば友だちになったりしてほしいですね。

2020年までに義足の友だち、車いすの友だち、障がいを持った友だちを作ろう。一人でもいいからさ。それが、ぼくからみんなへの宿題かな。



臼井二美男(ウスイフミオ)
群馬県前橋市出身。28歳で財団法人鉄道弘済会・東京身体障害者福祉センターに就職。以後、義肢装具士として義足製作に取り組む。89年、通常の義足に加え、スポーツ義足の製作も開始。91年、切断障害者の陸上クラブ「ヘルス・エンジェルス」(現在は「スタートラインTOKYO」)を創設、代表者として切断障害者に義足を装着してのスポーツを指導。やがてクラブメンバーの中から日本記録を出す選手も出現。2000年のシドニー、2004年のアテネパラリンピックには日本代表選手に同行する。通常義足でもマタニティ義足やリアルコスメチック義足など、これまで誰も作らなかった義足を開発、発表。義足を必要としている人のために日々研究・開発・製作に尽力している。

[文]ポプラ社編集部

■2017.8.23  <難病>母が一念発起「超重症児」の入浴法研究 学会で発表
汗を洗い流して、心までほぐしてくれるお風呂。全身の筋力が低下する難病がある東京都の小学2年生、大泉咲穂(さほ)さん(8)も大好きだが、人工呼吸が欠かせないために事故の不安がある。「みんなどうしているのだろうか」。一念発起した母江里さん(40)が、同じ病気の子どもたちの入浴方法を調査して、学会に発表した。

咲穂さんの病気は脊髄(せきずい)性筋萎縮症(SMA)I型。生まれつき自発呼吸が難しく、日常的な医療ケアや介護の必要度から「超重症児」と判定された。生後約1年で退院した後、胃に栄養を送るためにおなかに管を通し、車椅子を使って自宅で暮らしている。

咲穂さんは「たのしー!」と声を上げるほど我が家のお風呂が好きだ。家族らと触れ合う機会になり、気道が湯気で潤い、たんも吸引しやすくなる。

入浴には2人の介助が必要になる。1人が咲穂さんを抱き上げて風呂場に連れていき、髪や体を洗う。そばに寄り添うもう1人は呼吸用バッグを定期的に握って肺に空気を送り続ける。咲穂さんは首や腰が据わらないため、湯を張った浴槽にはつかれない。呼吸チューブを入れた首元を湯につけるわけにはいかず、お風呂では上半身を少し起こした姿勢で体を安定させる必要がある。

江里さんは背丈に合ったベビーバスやタライ、排水栓を付けた特注のビニールボートを使うなどして試行錯誤を続けた。咲穂さんの体調が安定してきた3年ほど前から「私にもっとできることがあるのでは」との思いがわいてきて、長年悩みの種だったお風呂について調べようと思い立った。公益法人の研究助成があると知ったことも背中を押した。

2015年春から都内や愛知、熊本県などの10家族を訪問。それぞれの取り組みや分析を昨年9月の日本看護医療学会で発表し、今年2月には睡眠時間を削って執筆した事例集も公表した。追加調査として、44家族を対象にしたアンケートも実施。介助する家族による同様の調査は前例がないとみられ「当事者の、当事者による、当事者のための画期的な事例集」と評価された。他の病気でお風呂に苦労している人たちなどからも問い合わせや反響があったという。

江里さんは湯上がりに見せる娘のほっとした笑顔が大好きだ。難病と知って絶望した時期もあったが「娘と出会い、私はちゃんと生きているのだろうか、と人生のスイッチが入った。私たちが社会とつながる道が広がり、咲穂も誇らしく感じてくれている」と話す。

44家族への調査では、自治体の支援に差があることや、体の成長や人手の問題などから希望通り入浴できない子どもが約4割いることも分かった。江里さんは「お風呂をあきらめるなんてもったいない。家族だけでは限界があるので、支援する方々にも事例集を手に取ってもらい、ヒントにしてほしい」と願っている。



調査内容をまとめた「『超重症児』の在宅おふろ事例集」(A4判90ページ)は、公益財団法人・勇美記念財団のホームページで閲覧できる。送付希望(送料のみ必要)や特注のビニールボートなどの問い合わせは江里さんのメール(eri.ohizumi@gmail.com)で受け付けている。



超重症児」の在宅おふろ事例集
http://www.zaitakuiryo-yuumizaidan.com/data/file/data2_20170323032908.pdf


SMA家族の会 会員の大泉江里さんが代表となり作製された事例集
http://sma-kazoku.net/out-side/2017ohuro/ohuro.htm

 

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