残しておきたい福祉ニュース 1996〜社会福祉のニュース

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残しておきたい福祉ニュース

 2017年 
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月

 2017. 3. 1 社会福祉法人が無人駅をパン工房に改修 鉄道ファンら土日には300人も
 2017. 3. 2 重症障害者の入浴、看護師ら手助け 滋賀、全国初の事業化
 2017. 3. 6  消防士の防火服、バッグに変身 「火や水に強い」  医療法人研精会 サン障害福祉サービス
 2017. 3. 7 白杖、全盲者だけじゃない 共感者ら周知キャラストラップ制作
 2017. 3. 7 障害者の版画詩、集大成の作品集 元園長が出版
 2017. 3.11 介護事業取り消しが過去最多に 15年度227カ所
 2017. 3.14 待機児童 保育施設、整備進まず 全国ワースト20自治体
 2017. 3.15 車いす利用者も安全に札所巡り 参拝ルートの冊子製作  四国八十八カ所霊場
 2017. 3.15 麩の焼き菓子「ラフク」販路拡大狙う 岐阜「ふくろうの家」
 2017. 3.15 タラノメの収穫盛ん、秋田市河辺 福祉施設で促成栽培
 2017. 3.18 介護施設で事故が起きたら 弁護士会が手引出版
 2017. 3.21 千葉県社会福祉事業団が運営している虐待事件の障害者施設 第三者委「改善なければ民営に」
 2017. 3.21 精神科の隔離、初の1万人突破 平成26年度 厚労省、実態調査へ
 2017. 3.21 (1) 光となってー点字ブロックの半世紀 誕生 岡山市の交差点に第1号
 2017. 3.21 (2) 光となってー点字ブロックの半世紀 全国、世界へ 広がる評価 70カ国導入
 2017. 3.21 (3) 光となって―点字ブロックの半世紀 守る 街中の命綱 遮らないで
 2017. 3.21 (4) 光となって―点字ブロックの半世紀 「守る会」会長の竹内昌彦さんに聞く 安心し歩ける世の中に
 2017. 3.21 子ヤギが仲間入り 障害者福祉施設の牧場
 2017. 3.22 熊谷の障がい者生活介護事業所でアート作品販売 ファッションショーやワークショップも
 2017. 3.26 障害児の放課後デイサービスに課題 連日利用、児童に負担感も
 2017. 3.28 特養待機者36万6100人、受け皿不足続く 厚労省調査
 2017. 3.29  北浦和の障がい者就業支援のパン店閉店 得意先からお礼の寄せ書きも


■2017.3.1  社会福祉法人が無人駅をパン工房に改修 鉄道ファンら土日には300人も
兵庫県加西市の社会福祉法人ゆたか会(蓬莱和裕理事長)は、地域貢献事業の一環としてローカル線の無人駅の駅舎をパン工房に改修し、地元発祥の幻の酒米「野条穂」を使った米粉パンを製造・販売している。寂れていた無人駅は、米粉パンの人気などで多い日には300人近い人が訪れる人気スポットに変身。地域住民や鉄道客にとって大切な憩いの場・交流の場になっている。

1991年に設立された同会は、同県内の障害者施設に勤めていた蓬莱理事長と、兄の正史・初代理事長が「自分たちが生まれ育った市にも障害者が安心して暮らせる入所施設がほしい」という思いから立ち上げた。現在は入所支援施設「希望の郷」や高齢者居宅介護事業所、障害児学童保育事業など7施設・16事業を運営。障害児から高齢者まで地域のニーズに応えた幅広い活動を展開している。

そんな同会が、北条鉄道法華口駅に2012年11月に開設したのが駅舎工房「モン・ファボリ」だ。そこには「毎日通学で利用した駅の寂れた姿を何とかしたい」「地元発祥の野条穂を使い地域起こしをしたい」という地域貢献にかける蓬莱理事長の思いがあった。

駅舎工房開設のために同会は、11年に米粉研究家の北垣美也子さんを招いてプロジェクトチームを立ち上げ、野条穂を使った米粉100%のパンの開発を開始。同時に北条鉄道(株)と協議を進め、駅舎の機能や風情を残しつつ、パン工房に改修する許可を得た。

駅員室はオーブンなどを入れてパン製造場に、貨物受け取り場はパンを置く場所に、切符売り場は勘定やコーヒーなどの受け渡しをする場にそれぞれ改修。待合室の半分はイートインスペースとして活用することにした。

北垣さん中心に進められた米粉パンのレシピも完成。悩みは実際にパンを焼き、職員に教えることのできる人の確保だったが、北垣さんが自ら志願。事業責任者として駅舎工房に加わることになった。

■地産地消にこだわり

駅舎工房では1日20種類の日替わりパンを約200個(土日は約500個)製造する。米粉ならではのモッチリした歯ごたえが評判だ。製造に際しては、希望の郷で生産する自然卵「さとらん」で作ったカスタードクリームや、地元農家が生産したニンジンで作ったあんを使うなど地産地消にこだわる。地元食材を使うことで、地域に役立ちたいという思いからだ。

毎日のパン作りは朝6時から始まる。北垣さんら職員3人が一晩発酵させた生地を成型し、オーブンで焼き上げ、売り場に並べる。接客や勘定は、希望の郷の利用者で唯一の駅舎工房スタッフの八木晃さんが担当。地域の人から「やぎちん」と親しまれる八木さんは「大変だがやりがいがある」と話す。

「オープン当初は『本当にこんな所にお店を開くの?』と地域の人から心配された」と振り返る北垣さん。北条鉄道から「ボランティア駅長」に任命され、1時間に上下各1本の電車を迎え、見えなくなるまで手を振り見送る姿は、米粉パンとともに鉄道ファンを中心に評判を呼び、いつしか土日には300人近い人が訪れるようになった。待合室には、地域の人が持ってきた花や鉄道のおもちゃが飾られ、駅舎内は地域の人や鉄道客らの笑顔と話し声であふれるようになった。

ただ、「売り上げは月約80万円で人件費を除けば赤字。何とかトントンにしたい」(北垣さん)、「パンが売り切れる時もある。別の工房があれば生産量も増え、働ける障害者も増える」(八木大策・希望の郷事務課長)などまだ課題があるという。沿線に名所名跡などがない無人駅を人気スポットにし、地域住民の憩いの場、鉄道客の交流の場として再生させたゆたか会の地域貢献事業がとどまることはないようだ。

■2017.3.2  重症障害者の入浴、看護師ら手助け 滋賀、全国初の事業化
滋賀県社会福祉協議会などでつくる「滋賀の縁(えにし)創造実践センター」(草津市)が、県内の高齢者施設と連携して、医療的ケアを必要とする重症心身障害者向けの入浴支援モデル事業を行っている。自宅の風呂場での入浴が困難な障害者が、リフト付きの風呂が設備されている施設を使う際に、看護師と介護士を派遣する。事業として取り組むのは滋賀が全国初という。

重症心身障害者は寝たまま入浴するので、介護者が常に抱きかかえる必要があるが、当事者の身長や体格が大きくなって介助が困難になることも多い。2015年に県障害者自立支援協議会が行った重症心身障害者の実態調査では、保護者が最も負担と感じているのが入浴だった。

一方で、訪問看護・介護サービスは自宅での利用を想定。入浴ができる設備が自宅外にあっても、当事者と保護者だけでは利用が難しい。同センターは入浴の選択肢を増やそうと、15年12月から、障害者の自宅に近い高齢者施設への看護師と介護士の派遣を始めた。派遣費1万2500円は同センターが負担し、県内で5人が利用している。

大津市の特別養護老人ホーム「カーサ月の輪」では、同市の土田有希さん(24)が月2回ほど利用。2月中旬、リフト付きの湯船に約1時間つかった土田さんは、頭や体を丁寧に洗ってもらい、口元をゆるませた。母の裕美子さん(52)は「家から通えて、ゆったりと入浴できる場所があるのはありがたい。有希には、多くの人と接する社会体験の場」と話した。

同センターの谷口郁美所長は「看護や介護は外出先でも必要なサービス。制度のはざまのニーズをくみ取り、新しい支援を提案したい」としている。

■2017.3.6  消防士の防火服、バッグに変身 「火や水に強い」  医療法人研精会 サン障害福祉サービス
廃棄予定だった防火服を再利用したバッグやポーチを、愛知県豊田市の消防本部と障害者の就労支援事業所が共同で作った。「火にも水にも強い丈夫さ」が売りで今月中旬から一般に販売する予定。製作には手間ひまがかかるが、資源の再利用につながるだけに関係者は広く普及することを願っている。

作ったのはショルダーバッグとトートバッグ、ポーチ、ペンケース。防火服を裁断して生地にし、ひもや金具をつけた。防火服の色はそのままで、「豊田市消防本部 AICHI」という文字や反射材も残している。

製作のきっかけは、消防本部が2015年度に6年に一度の防火服の更新時期を迎えたこと。一部は訓練用に回したが、時間が経ち廃棄をすることに。その際、「再利用できないか」というアイデアが持ち上がった。障害がある人の就労支援事業所で、手工芸や縫製の作業をしているサン障害福祉サービス(同市保見町)が協力。バッグなどに作り替えることになった。

責任者の高橋京子さんによると、昨年12月から作業を始め、上着3着から14点を作ることができた。
燃えにくい防火服だけに切りにくく、針も通しにくい。一つ作るのに相当時間がかかったという。「上着だけで重さが2キロもあり、サイズもバラバラで手間ひまがかかりますが、できあがった品はとても丈夫で使い勝手はいい」とアピールしている。

価格はトートバッグが4500円、ショルダーバッグが3千〜5800円などとなっている。消防本部の担当者は「売れ行きが良ければ再利用にもっと回していきたい」と話している。

販売は市内26の障害者就労支援事業所で作った製品を扱っているアンテナショップ「きらり」(同市若宮町1丁目のT―FACE A館9階)が協力する。電話(0565・31・1117)。

■2017.3.7  白杖、全盲者だけじゃない 共感者ら周知キャラストラップ制作
「白杖(はくじょう)=全盲とは限りません」。ゆるキャラとともに、こんなメッセージが記されたストラップを関東、中部、関西に住む全盲ではない視覚障害者ら五人が共同制作している。「目が見えないふりをしている」というインターネットの書き込みなど、誤解を解きたいという共通の思いが、遠く離れた障害者同士を結束させた。

ストラップ制作の中心は神奈川県秦野市の渡辺敏之さん(46)。二〇一三年、糖尿病が原因で網膜症になり、現在は左目でわずかに人や文字を認識できる。移動には白杖を使う。
渡辺さんは一四年初夏、コンビニのベンチでスマホを見ていた時、隣席のカップルのささやきを聞いた。「目の見える人が白い杖(つえ)持っていいの?」「詐欺じゃないか」

道路交通法では、全盲でなくても、目の不自由な人が道路を歩くには、杖を持つことなどを義務づけている。だが、健常者の理解は進んでいない。
こうした誤解は、全盲ではない視覚障害者の多くが経験している。渡辺さんによると、ネット上に誤解に基づいた書き込みが行われ、視覚障害者側が削除を依頼することもあるという。

こうした誤解を解くために「ゆるキャラでソフトにアピールしよう」というアイデアが、会員制交流サイト(SNS)ツイッターで交流している渡辺さんの障害者仲間とのやりとりで生まれた。その一人、大阪府茨木市の主婦、伊敷亜依子さん(30)が一五年九月、白杖を擬人化した「白杖の天使 はくたん」を考案作成。渡辺さんが「ストラップにして杖に付けよう」と持ち掛けた。

渡辺さんが試作品を手作りし、ツイッターに写真を載せると評判に。二百個を無料配布したが追いつかず、一六年五月から、東京都新宿区の日本点字図書館で一個五百円で発売。六月には通販も開始した。
このツイッターを見た、視覚障害がある愛知県武豊町の通信工事業榊原英雄さん(56)が、昨年末から印刷担当として参画。現在は障害者四人、健常者のガイドヘルパー一人の計五人で「はくたんストラップ制作委員会」を組織し制作販売している。

これまでの生産数は約八百個。売り上げの一部は視覚障害者支援団体に寄付している。

藤井貢・日本盲人会連合組織部長は「SNSはマイナス面もあるが、当事者同士のネットワーク作りに有益。ぜひつながりを広げて外に出て行くきっかけにしてほしい」と期待する。
問い合わせは、はくたんストラップ制作委員会へ、電子メール=hakutan.strap@gmail.com=で。

◆軽度な人向けにカラー杖を 「安心して歩きたい」
白杖は全盲の人が持つもの、という誤解の多さから、ある程度見える症状の軽い人向けに、色のついた杖を導入してほしい。こんな提案を、本紙読者で神奈川県湯河原町の渡辺浩美さん(56)が本紙に投稿した。

約十二年前に緑内障になった。左右の目の視野の大きさが違うため遠近感のずれや視界のかすみなどがある。日常生活にほぼ支障はないため白杖は使っていないが、段差や下り階段などは見えにくく、家族に声を掛けてもらっている。

本紙への投稿は昨年十月。「安心して歩けるよう、杖を持ちたい。でも白杖を持っていると『普通に買い物しているじゃない』と大半の人が考えると思う」と悩みを吐露し「白杖と同じように地面を探りやすい機能を持ちつつ、色や模様などで違いが分かる杖を作ってほしい」と訴えた。

渡辺さんは取材に、「白杖を選ぶか色のついた杖にするかは、本人が自由に選択できるのが理想。違いがはっきりすれば誤解もなくなる」と思いを語った。


<障害者と杖> 道路交通法14条1項は、目の見えない人やそれに準ずる人が道路を通行する際、杖を携えるか盲導犬を連れていなければならない、と規定。施行令で、杖は白か黄色とし、通行に著しい支障がある肢体不自由、視覚障害、聴覚障害、平衡機能障害の人にも杖を持つことを認めている。

■2017.3.7  障害者の版画詩、集大成の作品集 元園長が出版
西予市の知的障害者支援施設「野村学園」の園生たちが、約40年前から取り組んでいる版画詩の秀作を集めた作品集が出版された。「版画詩どろんこのうた 生まれたてのことば」(A5変型判 224ページ)。かつて園の職員として制作を見守り続けてきた男性が、集大成としてまとめた。

作品集を作ったのは、元園長の仲野猛さん(75)。園が創立された1966年に職員となり、2002年まで勤めた。親元を離れて寮生活を送る子どもたちと寝食をともにしながら、社会参加や自立を目指した学習や生活支援、散歩や詩作などに取り組んだ。

園の詩作は当初、仲野さんら職員が子どもたちのつぶやきを書き留める口述詩から始まった。72年には粘土遊びの際に針金で落書きした子どもの言葉を陶板詩にした。さらに表現力を伸ばそうと、75年からは板に詩と挿絵を彫る版画詩の形式になった。作為のない表現と素朴な版画は、作曲家の池辺晋一郎さんらから高く評価され、園が77年から手がける版画詩カレンダーは根強い人気がある。

今回の作品集をまとめるにあたり、仲野さんは2015年までの約40年間に園生が作った約3千点の版画詩を半年かけて読み返し、その中から計113点を選んだ。これまでに刊行された詩集「どろんこのうた」(1981年)などとは異なり、詩の一節が刻まれた版画詩を大きく取り上げ、東洋大名誉教授の郡山直さんによる英訳も添えた。

思い出深い詩も多い。1979年に16歳で亡くなった兵頭末雄さんの「雲」は、「空がはれとるけん 雲がひこうきになったり ふねになったり なみになったりして うごいたり やすんだりしています ぼくは雲にのって ほうぼうにいきたいです」とつづられている。この全文が英訳され、米国の小学生向け教科書に掲載された。

宇都宮久男さん(当時13歳)の「なかのおやぶん」は、題材にされた仲野さん自身も忘れかけていた作品だという。版画詩の中に「なかのおやぶん ねんどしようね またあした」と刻まれている。

「子どもたちとの親密な関係の中で、自分自身が学ぶことが多く、子どもたちの詩が人生の教科書だった」と振り返る仲野さん。「子どもたちが紡ぎ出した言葉は、何年たっても色あせない。本をぜひ手に取ってほしい」と話している。

作品集は県内の主要書店で販売されており、税別1200円。問い合わせは出版元の合同出版(03・3294・3507)へ。

■2017.3.11  介護事業取り消しが過去最多に 15年度227カ所
介護報酬の不正請求や法令違反で、介護保険法に基づき指定取り消しなどの処分を受けた施設や事業所が、2015年度に計227カ所と過去最多になったことが10日、厚生労働省の集計で分かった。

このうち報酬の不正請求で自治体が返還を求めた事業所は144カ所、返還請求額は計約5億5500万円だった。

介護保険のサービス提供ができなくなる指定取り消しは119カ所。新規利用者の受け入れを認めないなど事業の停止処分が108カ所だった。

指定取り消しの理由は不正請求が最も多く、「書類提出命令に従わない、または虚偽の報告をした」「設置・運営基準に従って運営できない」が続いた。

■2017.3.14  待機児童 保育施設、整備進まず 全国ワースト20自治体
昨年4月1日時点の待機児童数が全国ワースト20だった自治体のうち12自治体で、今年4月に向けた保育施設の整備目標を達成できなかったことが、毎日新聞の調査で分かった。都市部では用地、建物確保が困難なことに加え、近隣住民との調整に時間がかかって開設が遅れているケースもあった。また、国が目標とする2017年度末の待機児童解消の見通しが「ある」と回答した自治体は6自治体にとどまった。20自治体から、今年度の認可保育所や小規模保育施設などの整備目標(人数)と実績(一部は見通し)などを聞き取った。

達成率が最も低かったのは東京都中野区で、目標1065人分に対して実績は約3割の331人分にとどまった。同調布市は目標540人分に対し実績264人分、大阪市も目標2590人分に対し実績約1300人分で、いずれも半分程度だった。整備が進まなかった主な理由は、用地確保が難しいこと。中野区の担当者は「土地の賃料のほか、建設ラッシュで人件費や資材費なども高騰している」と指摘。大阪市の担当者も「まさに土地がない。賃料も高すぎる」と話す。

国は来年3月末までに「待機児童ゼロ」とする目標だが、解消の見通しについて、「ある」と回答したのは東京都足立区、同中野区、大阪市など6自治体▽「なし」は東京都世田谷区、同三鷹市など7自治体▽「その他」7自治体−−だった。

中野区、大阪市は今年度の整備が進まなかったものの、賃料の補助額引き上げなどで整備を進めるとしている。一方、見通しがないと回答した世田谷区は、昨年の待機児童数が全国ワースト1で、20年4月の待機児童解消を目指した計画を立てている。東京都中央、江東両区や三鷹市はマンション建設による子育て世帯の流入で整備が追いつかないとの見方。「保育士確保が困難」(江戸川区など)という理由もあった。「その他」との回答は「この4月の入所状況次第」(千葉県市川市)など様子見のところが大半だった。

■2017.3.15  車いす利用者も安全に札所巡り 参拝ルートの冊子製作  四国八十八カ所霊場
身体障害者の四国霊場巡りを促そうと、四国八十八カ所霊場会の公認先達、灘健二さん(68)=奈良県王寺町=が、八十八カ寺の車いすで参拝できるルートなどをまとめた冊子を作った。昨年9月から約2カ月間かけて、かかしを乗せた車いすを押しながら身体障害者の目線で各寺を点検した。冊子は希望者に無料で配布し、身障者の巡礼に役立ててもらう。

冊子はA4判48ページ。大師堂や山門の配置が分かるイラストと、車いすのままで参拝が可能な本堂までのルート、身障者用トイレの有無などを88カ所ごとに網羅した。車いすで宿泊可能な宿の連絡先も掲載している。

10番札所・切幡寺(阿波市)は駐車場からの坂がきつくて車いす利用者に注意を呼び掛けているほか、12番・焼山寺(神山町)では境内の砂利が深く、支援者の必要性を訴えている。

これまで100回以上の結願を果たした灘さんは、石段があって本堂まで近づけないお遍路さんを何度も見てきた。そこで、各寺に改善を求めながら冊子作りにも生かそうと、昨年9月、車いすを押して各寺を回る“啓発巡礼”を始めた。

灘さんは「札所巡りを諦めていた人が、お参りに行こうという気持ちになってもらえれば」と話している。

300部作製し、必要な人には無料で送付する。問い合わせは灘さん<電090(4284)8701>。

■2017.3.15  麩の焼き菓子「ラフク」販路拡大狙う 岐阜「ふくろうの家」
岐阜市六条南の障害者通所授産施設「あしたの会ふくろうの家」が、高級感を売りにしたお麩(ふ)の焼き菓子「ガトーラフク」の種類を増やし、販路拡大に取り組んでいる。商品価値を高めて通所者の所得アップにつなげ、「障害者が地域で自活する後押しをしたい」と願う。

黒を基調とする落ち着いた雰囲気のパッケージ。中には、焼き麩にバターと砂糖を塗って焼き上げた菓子がぎっしり。さくっとかじると、口の中でふわりと溶ける。商品名は、スライスしたフランスパンなどに同様の工程を施して作る焼き菓子「ラスク」をもじって付けた。

神戸町の「森製麩所」と連携し、二〇一五年から販売を始めた。施設に通う知的や精神、身体に障害のある二十九人のうち、ラフク班は十二人。県産の小麦粉で作った麩に、一つ一つ手作業でバターなどを擦り込み、味を染み込ませる。初めはプレーンとチョコ、黒糖の三種類を発売。昨年六月からは抹茶味も加わった。

授産施設が手がける商品は、手作り感あふれる簡易包装のものが多い。だが、施設長の村井稔さん(55)は「洗練された商品を作り、関東や中部、関西で幅広く売れるものにしたい」と考えていた。

包装の図案はデザイナーに依頼した。安八町のパティシエ福島由佳さん(39)に月六回指導に来てもらい、味にもこだわる。一時は東京の百貨店の店頭に並び、航空会社のお歳暮ギフトのカタログに掲載されたこともある。

ただ、現在はふくろうの家やオアシス21(名古屋市)の県アンテナショップ、JR岐阜駅隣接のアクティブG内の喫茶店など県内や近隣で販売するにとどまる。販路の拡大に向け、百貨店などへ商談にも出かけている。村井さんは「いつか、岐阜の名産品として定着させたい。安定して販売できるようになれば障害者の給与水準も上げられる。彼らが地域で生活する幅も広がるはず」と夢を描く。一袋四百八十円(税込み)。

■2017.3.15  タラノメの収穫盛ん、秋田市河辺 福祉施設で促成栽培
秋田市河辺の障害者福祉サービス事業所「スクールファーム河辺」(曽我祐一社長)で、促成栽培のタラノメの収穫が盛んに行われている。

同事業所でのタラノメ栽培は2年目。先月から始まった収穫は、需要が高まる今が最盛期。栽培室では、通所者が10センチほどに伸びた芽を一つずつ選びながら、丁寧に摘み取っている。

秋田市河辺、6年前に閉校した小学校の校舎を使ったLED光源完全閉鎖型植物工場「スクールファーム河辺」。ここは農業と福祉の連携を目指し、障がいを持つ方々の自立支援の役割も担っています。

タラノメは、かつての教室の中にビニールハウスの水耕棚を置いて栽培。
11月後半、ほだ木を畑から切り出すところからスタートし、それを10センチ位の細切れにして柵にセットします。

■2017.3.18  介護施設で事故が起きたら 弁護士会が手引出版
介護施設で起きた高齢者の事故を巡り、大阪弁護士会の高齢者・障害者総合支援センターが、利用者側が施設側を相手に起こした裁判事例を分析した手引書の作成を進めている。主に弁護士向けだが、利用者や家族にも参考になる内容で、同弁護士会は「介護は誰もが直面する問題。万一の時に備え、役立ててほしい」としている。

「介護事故を考えることになったら読む本」(約200ページ)で、今春の出版を予定。同センターが1996年からの20年間に全国の地・高裁で言い渡された判決95件を集め、分析した。うち49件で施設側に損害賠償が命じられている。

事故の内容は、転倒(28件)、誤嚥(26件)、ベッドからの転落(14件)など。施設職員が誤って他の入所者用の薬を服用させたケースもあった。

介護事故を巡る訴訟では多くのケースで、施設側が注意義務を果たしたかどうかが争点になる。手引書では、裁判所がどのように判断したのかを解説した。

介護施設で、80歳代の男性がベッドのそばで転倒し死亡した事故の判決(2012年)は、男性が2週間前にも同様に転倒していたことを挙げ、「施設はベッドにセンサーなどを設置すべきだった」と注意義務違反を認め、約3400万円の賠償を命じた。

一方、80歳代の女性が転倒し、重傷を負った事故の判決(12年)は「過去に女性が転倒したことはなく、職員は予測できなかった」として、女性側の訴えを退けた。

こうした事例を踏まえ、手引書では、万一の時にトラブルにならないよう、〈1〉介護にあたり注意すべき点を、施設に正確に伝えておく〈2〉職員の配置状況を把握し、連絡などはメモをして疑問があれば問い合わせる――などとアドバイス。提訴する場合には、施設側が自治体に提出した事故報告書などを事前に入手することを勧め、介護福祉士など第三者の意見も参考にすべきだとしている。

介護事故を巡る訴訟数の統計はないが、法曹関係者によると、近年増加しているという。同センターの森本哲平弁護士は「本人や家族は『施設にお世話になっている』と思いながらも、施設の対応への不信感から訴訟を起こすケースが多い。双方が日頃から疑問点を話し合うなどコミュニケーションを密にすることが大切だ」と話している。


介護事故の訴訟例
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利用者や家族へのアドバイス
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■2017.3.21  千葉県社会福祉事業団が運営している虐待事件の障害者施設 第三者委「改善なければ民営に」
4年前、職員による虐待が確認された社会福祉法人が運営する千葉県立の障害者施設について、県の第三者委員会は21日、今後改善がなければ民営にすべきとする意見を示し、県側は取材に対し、「重く受け止めたい」と話しました。

千葉県立の袖ヶ浦福祉センター養育園では、4年前、虐待死亡事件が起き、同じ社会福祉法人が運営する更生園でも、職員による虐待が確認されました。

調査を進めてきた県の第三者委員会が21日、中間意見を示し、この中で、更生園については外出の機会が少なく、食事を冷たいまま出していたなどとして、「ネグレクトともいうべき事態だ」と指摘しました。

そのうえで、「県立施設としての支援の水準に達することが困難」として、今後改善がなければ更生園を民営にし、利用者に必要な支援が行き届くよう、複数の施設の整備を県に求めました。

袖ヶ浦福祉センターの運営法人の相馬伸男理事長は「支援内容の改善に私がリーダーシップを取れなかった」と話し、千葉県障害福祉課の古屋勝史課長も「まだ検証中で民営化と決めていないが、意見は重く受け止めたい」と話していました。

■2017.3.21  精神科の隔離、初の1万人突破 平成26年度 厚労省、実態調査へ
精神科病院で手足をベッドにくくりつけるなどの身体拘束や、施錠された保護室への隔離を受けた入院患者が平成26年度にいずれも過去最多を更新したことが、厚生労働省の集計で分かった。隔離は調査が始まった10年度以来、初めて1万人を突破した。

精神保健福祉法では、患者が自らを傷つける恐れがある場合などに指定医が必要と判断すると、拘束や隔離が認められているが、人権侵害を懸念する声も上がっている。激しい症状を示す場合がある入院3カ月未満の患者の増加が背景にあるとの指摘もあり、厚労省は定例調査の質問項目を増やして、より詳細な実態把握に努める。

26年度の保護室への隔離は1万94人で、前年度に比べ211人増えた。都道府県別では東京が683人と最も多く、大阪が652人と続いた。

拘束は453人増の1万682人。最多は北海道の1067人、次いで東京の1035人だった。調査項目に拘束の状況が加わった25年度以降、増加の一途をたどっている。

■2017.3.21  (1) 光となってー点字ブロックの半世紀 誕生 岡山市の交差点に第1号
それは、岡山市街地の交差点でひっそりと産声を上げた。

今からちょうど50年前の1967年3月18日。現在の同市中区原尾島に位置する国道2号(現250号)の横断歩道口に、見慣れないコンクリート板230枚が敷かれた。30センチ四方の1枚につき、丸い突起が縦横7個ずつ、計49個並んでいる。

近くに岡山県立岡山盲学校があることを踏まえた敷設で、生徒らが早速歩き初めした。視覚障害者の“道しるべ”として、後に国内外の歩道などに広がる「点字ブロック」が世に出た瞬間だった。

生みの親は同市で旅館を営み、街の発明家としても知られていた三宅精一さん(1926〜82年)。

生活訓練などで視覚障害者を支援する社会福祉法人・日本ライトハウス(大阪市)の理事長だった岩橋英行さん(25〜84年)と出会い「目の不自由な人がどうすれば安全に歩けるか」に関心を寄せた。2人とも大の犬好きで、精一さんが珍しい外国の犬を飼っていることを兵庫に住む岩橋さんが聞きつけ、子犬を買ったことでつながりができた。

精一さんは、徐々に視力が低下する難病・網膜色素変性症を患う岩橋さんから「靴を履いていても足裏の感触で地面の状態が分かる」と何度も聞いていた。そんな中、道路を渡る視覚障害者の脇を車が勢いよく走り去る危険な場面に遭遇。車が普及しつつあった当時、歩道と車道の境や横断歩道の位置を視覚障害者に知らせる手段として、突起付きのブロックを路面に敷く発想が浮かんだ。

突起の形は。厚み、間隔は―。「夜が更けるのを忘れ、毎晩のように議論した」と、精一さんの弟で当初から開発に関わった三宅三郎さん(75)。現在、点字ブロックの普及に取り組む一般財団法人・安全交通試験研究センター(岡山市北区駅元町)理事長を務める。

精一さんのイメージを、建設会社で働いた経験からコンクリートの扱いに慣れた三郎さんが形にしながら試作を重ねた。精一さんが心血を注いだ背景には、視力の衰えが進む岩橋さんの力になりたいとの強い思いがあったという。

初期の完成品は、黄色が主流の今と違いセメント色だった。製品名は、視覚障害者向けの物だと社会にアピールできるよう「点字」の文字を入れた。役所に働き掛け、第1号の敷設が実現した際には「事前に一枚一枚をたわしで水洗いし、身震いするほどの興奮を覚えた」と三郎さんは振り返る。

テストで歩いた岩橋さんも、著書「白浪に向いて 三宅精一を語る」に<これならいけるという直感があった。つえをつきながら立ってみて感無量だった>と当時の心境を記している。

健常者に対しても視覚障害者への関心や理解を深めてもらう無言のメッセージになる。精一さんらのそんな思いが詰まったブロックは、やがて全国へと羽ばたいていく。

岡山で生まれ、視覚障害者の命綱として社会に広がった点字ブロック。誕生から半世紀の節目に、普及への道のりや、より利用しやすい環境を次代に築くための課題を追った。

■2017.3.21  (2) 光となってー点字ブロックの半世紀 全国、世界へ 広がる評価 70カ国導入
「開発した当初は高度経済成長の真っただ中。福祉の思想はまだほとんど浸透していなくてね」

点字ブロックの普及に取り組む一般財団法人・安全交通試験研究センター(岡山市北区駅元町)の応接室。理事長の三宅三郎さん(75)がしみじみと振り返る。ブロックを考案した兄と共に当初から開発に携わった人物だ。

部屋には、誕生から半世紀のブロックの変遷を示すパネルが展示されている。表面の突起は丸や小判形、線状とさまざまな形が生まれ、ブロック1枚当たりの数も丸形の場合、49、36、25個と移ろったことが分かる。飾り気のないその1枚のパネルには「社会の理解が広がるまでに相当な時間がかかった」(三宅さん)というブロックの歴史が凝縮されている。

1967年、岡山市に設置された第1号の点字ブロックはセメント色だった。三宅さん兄弟は弱視者が認識しやすい黄色に改良し、全国の福祉事務所や関係省庁にPR資料を送ったり、岡山をはじめ京都、大阪、東京などに実物を贈呈したりして普及に努めた。だが、注文どころか問い合わせも来ない。資金が底をつきかけ、やめようかとも考えたという。

転機が訪れたのは70年。駅のホームに導入するよう大阪の盲学校の教職員が陳情し、当時の国鉄で初めて我孫子町駅(大阪市)に登場した。72年には東京都が視覚障害者向け施設が多い新宿区の高田馬場駅前に敷設。現場を直後に歩いたという東京都盲人福祉協会長の笹川吉彦さん(83)は「道に視覚障害者の歩行を助ける目印がなかった当時、安全効果を強く感じた。都内の他の所にも広めてほしいとの要望が次々に湧き起こった」と述懐する。

大都市での動きは地方へも連鎖。74年に当時の建設省や厚生省関係者、大学教授らに三宅さん兄弟が加わった研究会が発足し、点字ブロックの形状や敷設方法の標準化へ動きだした。

2001年には点字ブロックの日本工業規格(JIS)が定められた。横断歩道前や進行方向が変わる地点などで注意を促す「警告ブロック」と、進行方向を示す「誘導ブロック」の2種類(ともに30センチ四方以上)を規定。突起は前者が丸形で25個以上、後者が線状で4本以上とされた。

現在の国内での普及ぶりを示す統計はないが、国土交通省によると、道路や駅などへの敷設の必要性が06年の省令で定められ、都市部を中心に身近な存在になっている。

さらに「1990年代には既に輸出され、アジアや欧州、南米など少なくとも70カ国に広がっている」と、岡山市出身で世界の点字ブロックを調査している筑波大医学医療系の徳田克己教授(バリアフリー論)。視覚障害者の安全を足裏の感覚に訴えて守るアイデアが世界で評価されている―とみる一方で、付け加える。「今後は正しく利用する意識を社会全体でいかに共有できるかが、ますます問われてくる」

■2017.3.21  (3) 光となって―点字ブロックの半世紀 守る 街中の命綱 遮らないで
都市部を中心に街の風景に溶け込んだ点字ブロック。視覚障害者の命綱でありながら、自転車やバイクなどが上に置かれて分断される問題も普及とともに顕著になってきた。

「行く手を遮られ、動けなくなったことがある」と岡山県視覚障害者協会長の片岡美佐子さん(64)=倉敷市=は明かす。たとえブロック上でなくても、白杖(はくじょう)を左右に動かして歩くと障害物に当たることは少なくないという。

点字ブロックを巡り、鳴門教育大の高原光恵准教授(特別支援教育)らが徳島県の視覚障害者約150人に行ったアンケートでは、約半数が利用すると回答。「役立つ場所」として、歩道や交差点、駅構内、バス停、建物の出入り口など幅広いスポットが挙げられた。一方で利用しない理由は、家族らと一緒などで「なくても移動できるから」を除けば、障害物があったりして「利用したくてもできないため」が目立った。

「ブロックを整備しただけでは必ずしも視覚障害者の安心にはつながらない」と高原准教授。2005〜07年の調査ながら、今も多かれ少なかれ各地で同様の状況にあるとみられる。
 
せっかく敷設された点字ブロックの機能をいかに守るか。発祥の地・岡山では関係者の取り組みが続いている。

第1号が設置された岡山市の交差点に10年、記念の石碑を建てた市民有志を母体に、「点字ブロックを守る会」(約50人)が誕生。13年に「上に物を置かないで」と記したステッカーを作った。日本記念日協会が定めた「点字ブロックの日」(3月18日)に合わせた街頭啓発で毎年活用し、フェイスブックでつながった全国の賛同者らも含めるとこれまでに100万枚以上を配ってきたという。

点字ブロックへの理解を求めるイメージソング「幸せの黄色い道」も制作し、CDを岡山県内の全小学校に贈った。

活動が実を結んだのだろうか。「守る会」会長で、岡山県立岡山盲学校の元教頭竹内昌彦さん(72)=同市中区=は「岡山市ではブロック付近の障害物がここ数年で減ってきた」と話す。

「全国では点字ブロックを守るという発想はまだまだ浸透していない」。守る会の一員で、ステッカー作りを発案した平林金属(同市北区下中野)社長の平林実さん(55)は利用環境のさらなる改善を目指し、表情を引き締める。願いは「道路や建物の計画段階から、点字ブロックと付近の安全な空間を確保することが当たり前の社会になること」だという。

守る会事務局長の谷口真吾さん(55)=同市東区=も思いは同じ。「世界でも、ブロック付近に障害物がないことが常識になってほしい」と理想を描く。

点字ブロックのイメージソングは<あなたの思いやりを みんなに広げよう>と呼び掛ける。岡山で生まれ、視覚障害者らの光となってきた点字ブロックがさらに輝きを増していけるかは、社会一人一人の意識にかかっている。

■2017.3.21  (4) 光となって―点字ブロックの半世紀 「守る会」会長の竹内昌彦さんに聞く 安心し歩ける世の中に
岡山で生まれた点字ブロックに関する啓発に取り組む地元関係者は、半世紀の道のりや今後の課題をどうみているのか。市民グループ「点字ブロックを守る会」の会長で、自身も目が不自由な岡山県立岡山盲学校の元教頭竹内昌彦さん(72)=岡山市中区=に聞いた。

―点字ブロックとの出合いは。

現在の岡山市中区原尾島の国道交差点に第1号が登場した翌年の1968年、近くの岡山盲学校に赴任してブロックの存在を知り、安心して歩けるいいアイデアだと直感した。船にとっての灯台のように、視覚障害者が歩道を歩く時には何らかの道しるべが必要で、それ以前は脇に生える草を頼りに車道との境を認識していた。盲学校に練習用のブロックを用意して生徒に訓練させたのを覚えている。

―その後、ブロックは国内外へと広がった。

各地に整備されるにつれ頼もしく感じていたが、これほど普及するとは思わなかった。考案した三宅精一さん(1926〜82年)も天国で驚いているかもしれない。足裏の感覚に訴えて視覚障害者の歩行の安全を守るという発想が世に認められたのだろう。

―竹内さんは第1号の敷設地に石碑を建てることを発案し、企業経営者をはじめ市民有志の支援を受けて2010年に実現させた。

石碑により、ブロックが岡山発祥であることを後世に引き継げると考えた。世に送り出した三宅さんに、利用する立場の一人として恩返しをしたかった。

―「守る会」(約50人)は当時の支援者が母体となって生まれた。ステッカーの配布などを通じ、点字ブロックの上に物を置かないよう啓発している。

ブロックを必要としない健常者がたくさん参加してくれて本当に心強い。以前はブロックを歩いていても、自転車にぶつかったりトラックの荷台に頭をぶつけたりした。活動のおかげで、少なくとも岡山市では障害物が大幅に減り、怖い思いをすることはほとんどなくなった。

―障害物をなくすこと以外に課題は。

駅のホームから線路に落ちる視覚障害者が各地で後を絶たない。点字ブロック上を歩いていても方向感覚をなくし、線路がどちらにあるか分からないことがある。白杖(はくじょう)を持った人を見かけたら「ご一緒しましょうか」などと声を掛けてほしい。誰かに寄り添ってもらうことが一番の安心材料だ。

―竹内さん個人としても講演などを通じ、全国で点字ブロックに対する理解を精力的に呼び掛けている。

キャリーケースを持っているときなどに邪魔だと感じたり、景観を損なうと思ったりする人もいるだろうが、視覚障害者にとっては「命の道」。岡山発祥のアイデアを最大限に生かせるよう、物を置かない意識が全国、世界に広まってほしいとの思いで活動している。障害者がどこでも安心して歩ける世の中になることを願っている。

■2017.3.21  子ヤギが仲間入り 障害者福祉施設の牧場
和歌山県田辺市木守(大塔地域)にある障害者福祉施設の牧場「木守ファーム」に、子ヤギが仲間入りした。「かわいらしくて毎日世話をするのが楽しみ」などと、利用者らの人気者になっている。

木守ファームは、社会福祉法人「大塔あすなろ会」の就労支援施設「ささゆり作業所」が運営。利用者との触れ合いを目的にポニーなどを飼育している。

仲間入りしたのは子ヤギ2匹とその母親など計4匹。2月下旬、職員の知人から譲り受けた。
子ヤギは雄と雌で、牧場に来た時は生まれて間もなかったために弱々しかったが、今は体長60センチほどに成長。元気に走り回ったり、飛び跳ねたりしている。

一般の見学を歓迎しており、子ヤギの名前も募集中。職員の森将太さん(32)は「皆さんに愛される名前をつけていただけたら」と話している。

問い合わせは、あすなろ木守の郷(0739・62・0431)へ。

■2017.3.22  熊谷の障がい者生活介護事業所でアート作品販売 ファッションショーやワークショップも
熊谷市の障がい者生活介護事業所ゆめたまご(熊谷市瀬南、TEL 048-522-7210)は3月25日・26日、アート作品を販売する「ゆめたまフェス」を開催する。

知的障がい者の親である吉田政則さんが、近隣の小規模作業所の授産活動が内職作業ばかりである中、より一人一人の個性を生かした仕事はできないかと2001年に活動を開始し、アート・創作活動を中心とした作業所としてNPO法人から埼玉県心身障害者地域デイケア施設、さらに生活介護事業所へと移行した同施設。裂き織り、草木染め、木工、刺繍、ペーパークラフトなど、さまざまな創作活動の機会を提供しながら、個展や販売を行うなど作品の発表を通じて利用者の社会参加を促進している。

「ゆめたまフェス」は普段イベント会場などで行っている販売を、施設を開放して年に一度開催する2日間限定ショップ。

販売する作品は、いらない布や古着を糸状に細く裂いて織る織物「裂き織り」で作られたバッグやテーブルウエアをはじめ、作家たちが独自の感性でデザインしたマスコットやTシャツ、一枚一枚手描きで制作する「アートなショッピングバッグ」、刺しゅう、アクセサリー、陶器など。施設利用者が自分のできること、やりたいことを生かして制作した「かわいいもの」を販売する。当日は作家による卓上織り機を使った裂き織りの実演のほか、ワークショップも予定。

生活支援員の中島恵さんは「メンバーはお客様との触れ合いをとても楽しみにしている。お店番も作家自らが行い、ワークショップでは先生になって教える予定。障がいを持つ作家たちが生き生きと活動している様子をぜひ見に来てほしい」と話す。「作家自らがモデルになって自分で織った裂き織りの服をご紹介するファッションショーも目玉」とも。

開催時間は10時〜15時30分。

■2017.3.26  障害児の放課後デイサービスに課題 連日利用、児童に負担感も
障害児の放課後の居場所として国が2012年度に創設した放課後等デイサービスを巡り、国は4月から事業所スタッフの資格要件を厳しくする。民間の指定事業所の急増に伴い、支援の質が一部で低下しているのが理由。一方、送迎サービスが付いて利用料の自己負担が軽いこともあって、連日夕方遅くまで預けられる例もみられ、教育現場などからは「行き過ぎた利用は、障害児の負担になる」との懸念が聞かれる。

4月から職員資格厳格化


特別支援学校などの児童生徒が下校後に集う福岡市西区の放課後等デイサービス「egg」。16日は、16人が職員6人と手芸やコマ遊びなどを楽しんだ。

放課後デイでは管理責任者を除きスタッフに資格要件の定めはなく、「テレビを見せるだけなど不適切な例がある」として4月から厳しくなる。egg運営会社の米原秀紀代表は「現状で新たな要件をクリアできている事業所は少ないのでは。保育士など資格を持つ人材の奪い合いが今後予測される」とみる。

放課後デイは全国で急増。福岡市では1日現在で139カ所を数える。同市こども発達支援課は2月、基準見直しを事業所に通知。山田哲也課長は「意思疎通の難しさなど障害児と向き合うには専門性が必要。従来の基準が甘すぎた」と語るが、突然の見直しに事業所側に戸惑いも広がる。

一方、利用急増で思わぬ影響も出ている。同市西区の生の松原特別支援学校。下校時前の運動場に児童生徒を迎える事業所の車が待機する。その数約40台。こうした光景は各地で見られる。福岡市立の支援学校7校では中学・高等部を含む児童生徒の約7割が放課後デイを利用。利用日数の上限を市は原則「月に25日」と定めるが、月26日以上の利用者が7%を占める。

同校小学部では100人のうち9割超が利用。校長は「月曜から土曜まで毎日利用する子も多い。帰宅は6時ごろ。疲れが見え、行きたがらない子もいる」。別の支援学校の校長経験者は「高等部は自主通学が原則だが、送迎車に自宅まで送られ、生徒の公共交通機関を使う能力が落ちている」と危惧(きぐ)する。

北九州市では利用日数の上限を、国に準じ原則「各月の日数マイナス8日」と定める。保護者の依頼で障害児25人の利用計画を作成する相談支援専門員の安武和幸さん(30)によると、上限いっぱいの利用を望む例が多いという。「親の仕事や息抜きも大切だが、本人の成長や発達にマイナスにならないことが前提。その点は嫌な顔をされても伝えています」と語る。


子どもの負担、考え利用を

知的障害児と親でつくる「福岡市手をつなぐ育成会保護者会幼児・学齢部会」の本山悦子部会長の話 放課後デイは仕事を持つ親はもちろん、障害児以外の家族の世話や家事などに忙しい親にとっても、なくてはならない制度。週4日ほど利用する小5の息子は喜んで通い、友人との関わりなど成長にも役立っている。大切なのは、事業所の支援内容に関心を持ち(第三者の専門家である)相談支援専門員の意見を聞きながら、子どもの負担にならない利用をすることだと思う。


◆放課後等デイサービス 児童福祉法に基づき、障害児の発達支援や居場所づくりを目的に放課後や春休みなどに預かる民間施設。国は4月から施設職員(子ども10人に2人以上)について、社会福祉士の資格などを持つ児童指導員、保育士、障害福祉経験者の配置を条件とし、その半数以上を児童指導員か保育士とする基準を設ける。猶予期間は1年。利用者が個別に事業所と契約し、定員10人以下の施設で平日放課後に1人を預かると各種加算を含めて1日9千〜1万円ほどが事業所に支払われる。9割が公費、1割が利用者負担だが上限は一般世帯で月額4600円。


障害のある子供達 ⇒ やっと安易な支援もどき施設が消滅する
http://social00welfare00dt.blog.fc2.com/blog-entry-3195.html

■2017.3.28  特養待機者36万6100人、受け皿不足続く 厚労省調査
厚生労働省は27日、寝たきりなどで介護が必要な人が暮らす特別養護老人ホームに入りたくても入れない人が約36万6100人に上ると発表した。受け皿となる施設の不足が依然深刻な状況が浮き彫りになった。

調査は、2016年4月現在の状況を集計した。特養は、介護保険法が改正された15年4月以降、やむを得ない事情がある場合を除き、入居者を介護の必要性が高い要介護3以上に限っている。待機者のうち、要介護3以上は約29万5200人。認知症でやむを得ない人など、要介護2以下は約7万900人だった。

今回の結果を13年10月の前回調査と比べると、要介護3以上の待機者は、約4万9900人減った。特に最も重い要介護5の待機者が2万1000人減った。政府は20年代初頭までに50万人分以上の新たな受け皿を確保する方針を掲げており、増設が進んだことが理由とみられる。

要介護3以上の待機者のうち、医療機関や介護老人保健施設など、自宅以外で暮らしながら、待機している人が約17万2000人。一方、自宅などで生活を送りながら待機している人は約12万3200人に上った。

■2017.3.29  北浦和の障がい者就業支援のパン店閉店 得意先からお礼の寄せ書きも
浦和西口にある障がい者就業支援の「スワンベーカリー北浦和店」が3月30日、閉店する。

埼玉県庁の障がい福祉課で働いていた飯塚哲朗さんが、障がい者の経済的自立の難しさの問題に直面し、何かできることはないかと模索していた時、ヤマト福祉財団の小倉昌男さんの講演を聴き、考えに賛同。同財団が障がい者の働く場の確保と経済的自立の支援を目的として銀座に開いた「スワンベーカリー」をさいたまにもと決意し、県庁を退職して北浦和店を2006年11月にオープンした。

飯塚さんは「障がい者支援の店であっても、お客さまあっての店。あいさつを丁寧にするなど、スタッフにはきちんと指導していた。能力に応じて、パン製造、レジなどの販売、外回りなど担当してもらい、社会的な責任を感じてもらうことのできる働く場を提供できたのではないか」と話す。

10年の間に北浦和駅から同店の間に競合店舗が複数でき、客足が減少。県庁、市役所、保健所などに注文販売で回っていたが、それでも経営が厳しくなり閉店を決めた。

スタッフの藤井浩一さんは「販売や外売りなどやりがいもあった。閉店を受けて、いろいろな人から残念と声を掛けてもらった。今までありがとうと、メッセージを寄せ書きしてくれた部署もあり、とても感激した」と話す。

浦和区在住の主婦は「おいしいのでオープンしたばかりの頃から買っていたが、障がい者を支援しているとは知らなかった。もっと地元で応援すればよかった」と残念がる。

飯塚さんは「10年間病気もせずにやってこられたのはよかったが、市場原理の中で戦うのはやはり大変なことだった。最後の日までしっかり販売するので来ていただけたら」と呼び掛ける。

 

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