残しておきたい福祉ニュース 1996〜社会福祉のニュース

Past news

残しておきたい福祉ニュース

 2016年 
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月

 2016. 5.16 熊本、発達障害者の相談相次ぐ 地震発生後、300件
 2016. 5.17 発達障害の子に配慮を 熊本地震で混乱、親も疲弊
 2016. 5.17 熊本地震から1カ月 発達障害者を支える(1) 専用シェルターあれば…
 2016. 5.18 熊本地震から1カ月 発達障害者を支える(2) 安らぎの場はどこに
 2016. 5.18 災害時における障害のある子どもへの配慮   独立行政法人 国立特別支援教育総合研究所
 2016. 5.18 「トイレに行けず我慢してお漏らしを…」子供や発達障害者の親からの相談300件、環境変化への対応困難
 2016. 5.20 熊本地震 現場から 障害者、苦悩の避難生活


■2016.5.16  熊本、発達障害者の相談相次ぐ 地震発生後、300件
熊本地震の発生後、発達障害がある人や児童生徒の親たちから「避難所での生活が難しい」「子どもがトイレに行けなくなった」といった被災に関する相談が、熊本県内で約300件に上ることが17日、分かった。自宅から避難所に移ったことなどによる環境変化に対応できていないとみられる。支援団体は「過去の災害でも落ち着いたころに、心の問題が出てきた。今後も支援が欠かせない」と指摘している。

熊本市によると、小学生以下を対象とする子ども発達支援センターと、中学生以上を対象にする発達障がい者支援センターに、窓口への来訪や電話などで15日までに計156件の相談があった。

■2016.5.17  発達障害の子に配慮を 熊本地震で混乱、親も疲弊
熊本地震の被災地で、発達障害のある子どもたちが混乱や恐怖からさまざまな問題に直面し、親たちも対応に疲れ果てている実態が、研究者、支援者らで組織する「日本発達障害ネットワーク」(事務局・東京都港区)の調査で明らかになった。

調査は、同ネット理事の辻井正次・中京大教授ら研究者七人が六、七日に実施。熊本県内の発達障がい者支援センターなどの行政機関や特別支援学校など五カ所で支援者、親ら約三十人から聞き取り、内容をまとめた。

東日本大震災では「パニックになる」「奇声を上げる」などの理由で避難所に行けず、車中泊を強いられた家族が多かったが、今回も同じ傾向がみられた。「家は帰れる状態だが、地震の恐怖から子どもが嫌がるため車中泊せざるをえない」などと、自宅の被害が軽度でも苦しむ例が目立った。

狭い車内で、目の離せない子の世話に疲れ果て「配給の列に並べない」「一日一、二時間でもいいから、預かってほしい」と支援センターに助けを求める電話も相次いでいる。

自宅に戻れても「不安がって外に出ようとしない」「震度1の余震でも大声を上げて騒ぐ」「最初の地震の時に入浴中だったので、以来おふろを怖がって入れなくなった」など混乱が続くケースが多い。避難所で暮らす家族は「行列に並べないため運営スタッフに相談したら、和を乱すと叱られた」と、障害への配慮の乏しさを訴えた。自宅が大破し「転校の話をしたら、子どもがパニックになった」という例もあった。

聞き取り調査の範囲では東日本大震災後に導入された福祉避難所の利用例はなかった。一方で、通い慣れた特別支援学校に預かってもらい、落ち着いて過ごせた子たちもいた。

辻井教授は「終わりが見えない状況は、発達障害の子には耐えがたい。大きな変化に弱い子たちを、周囲が日ごろから把握し、理解できているかどうかがポイント。今後は、個別の対応だけでなく、学校でのストレスマネジメント教育、教育委員会レベルでの子どもの心の実態把握などに取り組む必要がある。家族のサポート、教員や支援者の心のケアも重要だ」と話す。

◆遮音ボード、苦痛を軽減

発達障害の子にとって、避難所が少しでも心地良い場所になるように、という新たな工夫もみられた。

福岡市の音響設備会社「AURAL SONIC」(古沢秀和社長)は、自社が開発した遮音ボードのブース五個を熊本市内の避難所へ提供した。

九十センチ四方の小部屋で、防音効果の高い素材が使われ、発達障害の人が避難所で感じやすい「音の苦痛」を軽減できる。「とても好評でした」と古沢社長は話す。

■2016.5.17  熊本地震から1カ月 発達障害者を支える(1) 専用シェルターあれば…
発生から1カ月が過ぎた熊本地震。もともと不安を感じやすい発達障害者は、今も続く余震などで強い苦しみを抱えており、行政やボランティアらによる手探りでの支援が続いている。

先月十六日深夜、自宅で寝ていた熊本市南区の福岡順子さん(51)は、大きな揺れを感じて跳び起きた。揺れが収まり、暗闇の中で手探りで長男の勇成(ゆうせい)さん(23)の部屋に行き、「揺れが大きかったから、避難しよう」と声を掛けた。

車の中で着替えるため服を準備していると、玄関で勇成さんはパジャマを脱ぎ捨ててしまい、下着姿になっていた。外出するので、いつもの通りパジャマを着替えなければいけないと思ったらしかった。車の中で着替えて、避難所の小学校に向かった。

体育館は、周辺からの避難住民で騒然としていた。耳を両手で押さえ、ぴょんぴょん跳びはねる勇成さん。引きつった表情が、叫んで暴れるパニック症状の寸前だった。「とてもここにはいられない」。そう感じた福岡さんは、四十分ほどで避難所を出て、親子で車中泊せざるを得なかった。

二人の苦労は続いた。

翌朝、自宅に戻っても、勇成さんが車から降りようとしない。シートベルトを外そうとせず、耳を両手で押さえたまま。「強烈な揺れ、暗闇の中の避難が恐怖の体験で、家に戻るとまた起きると思ったようです」と福岡さん。髪の毛を抜き、頭をたたく自傷行為も現れた。

ライフライン関連の会社に勤める夫は遠方に単身赴任中。地震の発生で熊本に戻って来たものの、会社に泊まり込みで仕事に当たっていた。福岡さん親子二人で配給物資の行列に並ぶのも難しいため、家から携帯ガスコンロとなべ、米などを持ち出し、車中泊をしながら自炊でしのいだ。

ぐちゃぐちゃになった自宅の片付けを始めたのは、普段通う福祉作業所で昼間に勇成さんを預かってくれた三日後から。家に入るのを嫌がった勇成さんが戻れたのは五日目。家の中を片付け終え、地震の痕跡がなくなった部屋の写真を勇成さんに見せて安心させた。

福岡さんは、熊本県自閉症協会の事務局長を務めており、車中泊を続ける間も、会員からの相談電話が相次いだ。親が付きっきりで世話して身動きが取れないケースが多く、「地震はお母さんのせいだと、息子から暴力を受けた」という痛ましい例も。「専用のシェルターがあればと、つくづく感じた」と話す。

避難生活では、自分の家ではない場所で寝起きし、普段の生活スタイルからかけ離れた形になるが、自閉症などの発達障害者は、そんな状況を受け入れるのに苦しむ。

怖がって家に戻れない子と家族のために、熊本市子ども発達支援センターは「やっぱりおうちがいいな」という絵本を急きょ製作。ウェブサイトで閲覧し、ダウンロードできるようにした。▽家を片付け、安心できる場所をつくる▽分かる言葉で見通しを示す−などとアドバイスする。

■2016.5.18  熊本地震から1カ月 発達障害者を支える(2) 安らぎの場はどこに
「避難所の音に悩まされて、すっかり耳栓コレクターになりました」。発達障害の一つ・高機能自閉症の大学生ユキコさん(27)=仮名=は笑った。

親元を離れ、熊本市内のシェアハウスで暮らしていて被災。近くの市立体育館に避難した。聴覚が敏感なユキコさんにとって「地獄だった」という。苦手な救急車のサイレン、ヘリコプターの騒音が頻繁に響く。周囲から耳に飛び込んでくる話し声も気になった。余震の際に一斉に鳴りだすスマートフォンの警報に、何度もビクッとなった。

日常のリズムが崩れたこともつらかった。いつご飯を食べるか、いつ寝るか、見通しがつかない。ユキコさんの発達障害を知らない友人から、被害情報の収集をお願いされたが、何時までやって、どの程度集めればいいか分からず、夜通しネットとにらめっこした。

我慢は三日目に限度に達した。激しい頭痛と吐き気に襲われ、自分が参加する発達障害の当事者会「リルビット」顧問の精神保健福祉士に助けを求めた。その橋渡しで、同会のフジさん(25)=同=のアパートに移ることができて、症状はぴたりと止まった。そこで二週間過ごし、今はシェアハウスで日常を取り戻している。

同会の病院職員ナカジュンさん(31)=同=も、フジさんのアパートに泊めてもらった一人だ。家は無事だったが、余震のたびに恐怖を感じ、悲鳴を上げてしまう。両親に「騒ぎすぎだ」と責められ、反発するうちに心のバランスを崩し、自分の腕をこぶしでたたき続けてしまう。親元から一時避難して、少し楽になった。

今月七日、フジさんの呼び掛けでリルビットの集会があり、六人が参加した。震災直後の会合では口々に不安や恐怖を語っていた会員たちも落ち着き、穏やかにおしゃべりをして過ごした。それぞれが、周囲に理解してもらえない苦しさを日常的に体験しており、貴重な「安らぎの場」だ。

ユキコさんは、地震後の体験をもとに自作した「当事者災害手帳」を披露した。

自身の診断名、障害の特性、災害時・避難時にほしい配慮、支援機関・担当者の名前、医療機関の連絡先、服用している薬、障害者手帳のコピーなどをまとめた手帳だ。「被災した時のために自分に合ったものを作ってみては」と仲間たちに勧めた。

「発達障害の人たちは助けを求めることが苦手。当事者同士で助け合えるのはすばらしいことです」。日本発達障害ネットワーク理事の辻井正次・中京大教授は話す。

辻井さんによると、台風などと違い、予測のできない地震は一般の人でも不安や恐怖を大きく感じやすいが、発達障害の人はより強烈で生活の混乱が激しくなる。さらに、仕事に行けないなど日常のリズムが崩れると、精神的に調子を崩す場合もあるという。

辻井さんらが今月六、七日に熊本県内の被災地を調査したところ、子どもの支援には発達障害者支援センターや特別支援学校などが頑張っていたが、成人は「何らかのサービスにかかわっていなければ把握は困難」と、後回しになりがちだったという。

「当事者のつながりを強めることも含め、これから力を入れていくべき課題」と辻井さんは強調する。 

■2016.5.18  災害時における障害のある子どもへの配慮   独立行政法人 国立特別支援教育総合研究所

災害時における障害のある子どもへの配慮

http://social-welfare.rgr.jp/storage/shougai-hairyo_a1.pdf

視覚障害のある子どもへの配慮
聴覚障害のある子どもへの配慮
知的障害のある子どもへの配慮
肢体不自由のある子どもへの配慮
病弱・身体虚弱の子どもへの配慮
言語障害のある子どもへの配慮
自閉症のある子どもへの配慮
発達障害のある子どもへの配慮
情緒障害のある子どもへの配慮
複数の障害を併せ有する子どもへの配慮

■2016.5.18  「トイレに行けず我慢してお漏らしを…」子供や発達障害者の親からの相談300件、環境変化への対応困難
熊本地震の発生後、発達障害がある成人や児童生徒の親たちから「避難所での生活が難しい」「子供がトイレに行けず、我慢して漏らしてしまう」といった被災に関する相談が、約300件に上ることが17日、取材で分かった。

地震発生から1カ月を経ても相談は寄せられている。発達障害がある被災者には、自宅から避難所に移ったことなどによる環境変化に対応できない人が、多くいるとみられる。

支援団体は「過去の災害でも落ち着いたころに、心の問題が出てきた。今後も支援が欠かせない」と指摘する。

日本発達障害ネットワークの市川宏伸理事長は「阪神大震災では発生1カ月後、東日本大震災ではそれよりも早く、心の問題が現れた」と指摘。心のケアについて「地震を思い出す話をしたり、本人にさせたりするのは避けるべきだ。ただ、本人から話しだした場合は、じっくりと聞いてあげてほしい」と助言している。

■2016.5.20  熊本地震 現場から 障害者、苦悩の避難生活
熊本地震では、障害のある人や家族の避難をめぐる課題が浮き彫りになった。被災地からリポートする。

●医療具手に入らず

熊本市南区の山田姫音(めい)ちゃん(2)は先天的に胃が小さく、「胃ろう」でチューブから栄養の多くを取っている。気管支ぜんそくなどもある。

4月14日の前震後、近くの小学校体育館に家族と避難したが、せきが止まらなくなり、同18日未明に救急搬送された。だが入院から6日目、被災者対応に追われる病院から退院を求められ、避難所に戻った。

その後、避難所で39度6分の高熱が出た。さらに、地震がなければ15日に通院して3カ月に1度のチューブ交換をし、新たな在宅用医療具も入手する予定だったが、交換時期を過ぎたチューブや器具を使い続けなければならなかった。チューブを通す体の穴に薬を塗るための滅菌綿棒も手に入らなかった。困り果てた母親の希(のぞみ)さん(33)はスマートフォンで懸命に調べ、医療具の提供を申し出ていた愛知県の女性のメッセージを発見した。この女性には胃ろうの子がおり、28日に姫音ちゃんのもとへ医療具セットが届いた。「救われました」と希さんは話す。

自治体が福祉施設を指定しておく「福祉避難所」の存在を友人から教えられ、市役所から紹介された施設を訪ねたこともある。だが、年配者が多く身を寄せており、犬を連れた人もいた。姫音ちゃんと兄(8)、姉(5)には居づらいとあきらめた。5月16日現在もスポーツ施設で避難生活を続けていた希さんは「病弱な子が衛生面でも安心して過ごせる環境が必要」と訴えた。

●トイレなく車中泊

避難所に行けず、自宅に居続けたり車中泊したりしている人も多い。熊本県西原村布田(ふた)地区で車いす生活をしている鈴川将司さん(42)は前震後、トイレや飼い犬の問題などから「避難所は無理」と車内に泊まった。翌日、自宅へ戻ったが、本震に襲われて自宅は全壊。半分つぶれた玄関からはい出る際、散乱したガラスの破片で腕が血だらけになった。あれから1カ月たったが、車いす用トイレのある公共施設の駐車場で妻と車で過ごしている。「私は下半身が動くが、腰の感覚がなく、常に締めつけないと座っていられない人もいる。体を伸ばせる空間が、障害者用トイレと共に不可欠です」と話す。

発達障害のある人も困難な生活を続けている。障害のため集団のけん騒や音が刺激となり、動き回ったり自傷行為をしたりすることを家族が案じ、避難所へ行くことをためらうケースが多い。

●周囲との関係懸念

自閉症の高校生の長男(15)がいる熊本市北区の男性(50)は本震後、近くの小学校体育館を埋めた避難者を見て「余震におびえる長男が入ればトラブルになる」と自宅に戻った。電気や水道は止まっており、翌日、食料や飲料水を配給してもらおうと長男を連れて避難所に行った。担当者に「障害のため避難所に入るわけにはいかず、配給の列に長時間並ぶのも難しい」と説明したが、「並ばないと渡せない。みんな平等」「もらいたければ避難所に入らないと」と言われ、何も受け取らず家に戻るしかなかった。


東日本大震災 教訓生きず

政府は東日本大震災後、災害対策基本法を改正。位置づけがあいまいだった避難所を法制化したうえ、避難所に行けない多くの障害者らに物資や支援が行き渡らなかった教訓から、在宅被災者も避難所の支援対象と明記した。新たな指針で福祉避難所を拡充させると共に、一般避難所でも要介護の高齢者や障害者らの世帯が個室で過ごせるスペースを考慮するよう求めたが、熊本地震で十分生かされているとは言い難い。

一方、指定避難所ではなかった熊本学園大が、60人以上の車いすの人や高齢者をバリアフリー化された講堂で受け入れ、障害者団体スタッフや教職員、学生らが介助にあたった。自宅が損壊した右半身が不自由な市内の女性(70)は「余震で目覚めるお年寄りも『大丈夫』と寄り添われ安心できた」と話す。発生後の半月間泊まりこんだ吉村千恵講師(40)は「減災を研究中の教員や学生、介護実習用シャワー椅子など大学のソフトやハードが活用できた」と話す。

障害者団体などが設立した「被災地障害者センターくまもと」事務局長で車椅子利用者の東俊裕弁護士は「福祉避難所は自治体職員が避難所の要支援者を把握し、施設側も受け入れ可能だった時に初めて機能する。

だが熊本地震では、自治体は一般避難所の設営にさえ手が回りきらず、十分機能しなかった」と指摘。障害者が最初に身を寄せる地域の一般避難所で安心できる環境作りが大事とし、「公民館の多くには小部屋があり、車いす用トイレさえ設置されていればある程度は対応できる。視覚障害者には配食時に声をかけるなど、少しの配慮で過ごしやすさが変わる」と提言。自宅や車にとどまる障害者を把握し、支援を届けるべきだと訴える。

 

トップへ フッターへ